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埴輪が盗まれて返された話2020年06月04日 08時06分37秒

昨日の夜、SNSに流れてきたニュースを見てビックリしました。

奈良県河合町の国史跡・大塚山古墳(川合大塚山古墳)で墳丘が荒らされ、埴輪2本が持ちされたのち、1本が”痛々しい姿”に接合されて元の場所に返されていたというニュースでした。




最初、記事のタイトルを見たときは復元埴輪を誰かが持って行ったのかと思いました。

最近、墳丘に復元埴輪を置いているところもありますからね。
復元埴輪を壊す不届き者も現実にいます。




しかし、記事をよく読むと、土中に埋まっていた築造当時の埴輪を掘り起こして持ち帰っているっぽい(゚Д゚;)

「えー!? すげーピンポイントで掘り当てたなあ!」

と不謹慎ながら感心しました。
自分が発掘に参加した古墳は、地面をある程度掘らないと埴輪は出て来なかったんで(^^;)
「ここに埋まっている」ってわからないんで、表面を削りながら遺構を探していくんです。

抜き取ったところの画像を載せているニュースサイトもありました。あれをみると、もとから表面に露出していたのかなという感じがしますね。



返されていた埴輪の画像も見ました。
”痛々しい姿”と表現しているサイトもありましたが、わたしはこれまた不謹慎にも、

「えらく上手に接合しているなあ!」

と思ってしまいました。
手慣れているっていうんですか?(^^;)

土器とか埴輪って、2、3個ぐらいの破片を平面的にくっつけるのはまあ誰でもできます。
しかし、立体的に接合していくのって意外と難しかったりします。うまくやらないとゆがむんです。
この埴輪、縦にも横にもきれいに復元してありますね。
犯人を持ちあげたくないですが、博物館に展示できるレベルに復元してあるように見えます。


大昔の話ですが、わたしが発掘に参加した現場で完形で土器や埴輪が出てきたことはなかったように記憶しています。

この埴輪も犯人が破壊したのではなく、出てきたときからある程度の破片状態だったのではないかな?
それは破片の断面を見たらわかりますが、報道の写真からはちょっとわからないです。
突帯のところがアップになっている写真がありましたが、あれを見た感じでは元から割れていたんじゃないの?という気もします。



出てきたときは泥まみれだったはずの埴輪をきれいに洗っているようですが、洗ってしまうと、もし表面に朱などがついていた場合、あとから分析できなくなってしまうので、よろしくありません。
洗わないと接合できなかったんだと思いますが・・・・。


あくまでわたし個人の印象ですが、あの接合された埴輪を見た感じでは、「古墳憎し」「埴輪憎し」「文化財憎し」という破壊目的の犯行のようには感じないです。




まあ、いくら埴輪・古墳好きな人であっても確信的に埴輪を発掘して持ち去ったとしたら許されないことです。

しかし、そういう意図なく発見してしまって、動転して持ち去ったとしたら、正直に名乗り出て残りの1本も返却しましょう。
あ、そのときは自分で接合せず、破片のまま返した方が研究者は喜ぶと思います。
※勘違いしていました。もう1本も破片状態のまま返されていたようです



もし、不意に土器や埴輪を見つけてしまったどうしたらいいか?

出てきた状態がわからなくなってしまったら資料としての価値が下がってしまいますので、現位置を動かさずにすみやかに市町村の文化財担当部門に連絡しましょう。

黙って持ち帰って家に隠しておくより、
「あれ、自分が見つけて通報して文化財指定されたんやで!」
って自慢した方がかっこいいですよ。

納期確定に関するご案内2020年06月04日 09時40分30秒

最近どうでもいい投稿が多くてスイマセン。

そのうちツイッターでコメント機能オフが追加されたあかつきには、ブログを投稿しましたの告知アカウントを作ろうかと考えています。
一日に何度もブログを覗きに来てくださって、興味のない内容だったらガッカリしますよね、スイマセン<(_ _)>



さて、そういいながら相変わらずどうでもいい投稿(笑)

昨日、大学生になったのに自宅警備員に転職したかのような春海に歓喜のメールが届きました。


納期確定に関するご案内。



前にも書きましたが、HPのパソコンを2ヶ月ぐらい待っている人がいるという情報をSNSで得ていたので、

「うちも7月中に届くかどうかビミョーやと思うで」

と話していました。
「7月中」というのは、とりあえず7月いっぱいはオンライン授業をします、との通知が大学から来ていたんで、「それには間に合わんかもよ?」という意味で。




5月末にようやく10万円の申請書が届き、

「これで軍資金は心配なさそうだ」

と思っていたのですが、昨日になって突然春海にHPから上のメールが!!


春海「ひゃっほー!!(・∀・)」


ママ「待て待てー! まだ10万、振り込まれとらんぞー!( ;∀;)」




しかし、思いのほか早かったですな。

5月15日にネットでポチして、20日ほどで納入です。

コロナで生産体制がグダグダだったのが解消されたタイミングだったのでしょうか?
春海のオンライン授業に間に合ってよかったです。

台南空17年8月4日集合写真の丙3期生2020年06月04日 13時16分01秒

あることがきっかけでちょっとこの写真に写っている搭乗員に関して再考中です。


去年、本田秀正さんのご遺族の方から手持ちのものより鮮明な写真を提供していただいたので今日はそちらで考えてみたいと思います。

※背景をトリミングしています


まず、この写真が定説通り8月4日に撮影されたという前提で話をすすめます。
実際のところ、わたしはこの写真がいつ撮影されたものか知りません。
8月7日に戦死された吉田元綱さんが写っているのでそれ以前であることは確信しています。


では。

行動調書から、8月4日にこの集合写真に写れた可能性が比較的高いであろう丙3期生は、
(順不同)
岩坂義房さん
伊藤重彦さん
山内芳美さん
沖繁国男さん
長尾信人さん
本田秀正さん
平林真一さん
笹本孝道さん
明慶幡五郎さん
若杉育造さん

本多秀三さんが写っているのか写っていないのかビミョーなところです。



このうち、すでにお顔がわかっていると思っている人。 ※アルファベットは上の集合写真と対応しています

A 伊藤重彦さん
この写真ではちょっと傷みがあるので、

武田さんご提供の写真の伊藤さん↓

飛練17期大分卒業集合写真



C 本田秀正さん

飛練17期大分卒業集合写真



D 八並信孝さん

飛練17期大分卒業集合写真


E 山内芳美さん

飛練17期大分卒業集合写真


F 笹本孝道さん

飛練17期大分卒業集合写真


H 平林真一さん

飛練17期大分卒業集合写真



J 明慶幡五郎さん

飛練17期大分卒業集合写真


この方たちは582空の写真などから自分ではほぼ間違いないだろうと思っていた人たちです。


ちなみに沖繁さんはこの方です。
飛練17期大分卒業集合写真

582空時代

3列目の左端のような気もするけど、あれは米川正吉さんのような気もするし。
沖繁さんはちょっと保留です。





最近、ヒトからすすめられて見たYouTubeの動画に岩坂義房さんだという方の画像が出ていました。
台南空のガ島で戦死した搭乗員を特集したような動画です。
写真の説明がないので、写真の出どころはわかりません。

が、もし、その人が岩坂さんで間違いなければ8月4日集合写真のこの人です。

B 岩坂義房さん
いままでどなたかわからなかった人です。

飛練17期大分卒業写真にも同一人物であろう人が写っています。

この人は251空11月集合写真には写っていません。
岩坂さんは10月15日に戦死されています。




飛練17期大分の卒業写真にほかにお二人、8月4日集合写真に写っている人がいます。

もう書いてしまいますが、このお二人が若杉育造さんと長尾信人さんではないかとわたしは思っています。

以前「熊谷さん(乙9)かな?」と書いたこともあるんですが、たぶん飛練17期の人。

飛練17期大分卒業集合写真




飛練17期大分卒業集合写真




若杉さんも長尾さんも台南空を生き抜いて、251空が内地帰還後は582空に転勤。
上の写真のお二人とも11月の251空集合写真にも写っています。

若杉さんは17年11月13日、582空で戦死。
長尾さんも17年11月26日、582空で戦死されています。


いつものようにKさんにお助けお願いしました。
若杉さんも長尾さんも飛練の中練過程は百里だそうで。
飛練17期の陸上機中練過程は筑波と百里でやったようです。
谷水竹雄さんが中練が筑波だったので、手元に筑波の集合写真が2種類あります。が、どちらにもこのお二人は写っていません。なのでこのお二人もたぶん百里。
補強材料になるかな。



で、どちらが若杉さんで、どちらが長尾さんか?
「わからない」
んですけどね、結局(^^;)



もうひとつ。
お二人が台南空の行動調書に初めて登場したのはいつか?
わたしの見落としがなければ、若杉さんは7月28日。長尾さんは5月4日。

そこで思い出した写真があります。

ホリブンの写真として、台南空分隊長・山下正雄大尉がお持ちだったという582空搭乗員の集合写真だ掲載されていたものです。

そのとき「こんな写真」と出した画像(^^;)↓
それ以前に、この写真は山下大尉が持っていたものなので、582空ではなく台南空なのではないかという指摘を知り合いの戦死研究家の方から受けていました。

わたしもその説に賛成でした。

で、結局、この写真は台南空の若手搭乗員たちの集合写真ではないかという結論に。

背景とか、後ろに写っている人物が同一なんじゃないかということで、わたしはこの有名な台南空下士官搭乗員集合写真と同じ時、同じ場所で撮られた写真ではないかと思っています。
いまだに何月何日のどこだ!
の特定には至っていないのですが、ここに写っている中で最初に戦死されているのは7月20日の小林克己さん(3列目左から5人目)、宮運一さん(2列目右端)、大西要四三さん(前列左端)です。
なので、7月20日以前であることには間違いないです。


もしかしたら違うかもしれませんが、同じ場所、同じ時の撮影とするなら、『源田の剣』掲載写真も7月20日以前の可能性大。乙10や丙3の若手の人たちがいるとしたらラエよりラバウルの可能性が高いと思っています。




いまあらためて『源田の剣』掲載写真を見返すと、そこに写っている全員が8月4日写真に写っている人たちです。
①八並さん
②本田さん
③岩坂さんらしき人
④山内さん
⑤若杉さんか長尾さんと推定している人
⑥笹本さん
⑦伊藤さん
⑧平林さん
⑨ホリブン(堀光雄さん、乙10)

Hの人は写っているけど、Gの人は写っていません。

写っていないことはいなかったことの証明にはなりませんが。

まだ断言は避けますが、わたしの中ではどちらが誰さんか、9割ぐらい決まっています。




いまのところ、こんな感じです。


さらなる証拠が出てきたらまた書きます。


中途半端でスイマセン。



画像は丙3期ご遺族・ご家族、武田信行氏ご提供