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乙9期 中尾鶴蔵さん2020年05月10日 13時24分49秒

北海道出身。
偵察、水上機。


入隊時氏名入り班写真、16班。




霞空移転後すぐぐらいかな?
お掃除中? マスクをしている人もいます。
みんな楽しそう。


操偵検査。



習志野演習。
10期の久保さんが持っていた写真です。




写真実習かな?
練習生同士で撮り合ったという・・・・。
島田清守さんのアルバムにありました。



卒アルから。
偵察練習生の倶楽部にて。




飛練鈴鹿。

橿原神宮の北参道の鳥居。

上の写真で左端にちょこっと写っている鳥居、御鎮座130年記念で改修されました。
去年の10月の写真です。




奈良行軍、春日大社。





運動会優勝記念。


飛練博多。

島田清守さん所有の写真です。
いい写真ですね。


修業記念集合写真より。


おもいで
柔和な目、濃いひげ、ずんぐりした体つき、北海道の何かを思い出させる風貌であった。ビーム下りで手のひらの皮をむいて包帯をしたまま母の葬儀に帰った姿を昨日のことのように思い出す。北海道●●の産。追分は格別。
※●●はわたし編集


入隊時隣班、ひげが濃かったね。いつも笑みをたたえた円満さで苦しみも吹き飛んでしまったものだった。僕の心の支えであったのに。



本間猛さん(旧姓石塚)の『予科練の空』には中尾さんのビーム下がりの罰直の思い出がつづられています。
中尾さんの田舎の話も出てくるので今回は割愛。


『予科練の空』には、またこういう記述もあります。
この中尾も、戦争がはじまって間もない昭和十七年四月、ドーリットルの東京空襲に際して、大湊空から本州の東方海上の索敵哨戒飛行に出たまま帰ってこなかった。


しかし、これ、どうも違うようです。


17年3月22日、零式水上偵察機オミ5号(操縦員・飛行兵曹長市原米吉、偵察員・3等飛行兵曹中尾鶴蔵、電信員・3等飛行兵曹伊藤豊)で哨戒、帰投中に機位を失し海上に不時着、その後連絡が途絶え、艦船や水上機などで捜索するも見つからず、ひと月後の4月22日に戦死認定された――という流れです。

中尾さんの戦死とドーリットルの本土空襲(4月18日)とは無関係ですね。




17年4月22日  大湊空  本州東方海上(戦死認定  ※3月22日哨戒後行方不明)



※画像は9期生ご遺族、ご家族、10期久保さんご提供

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