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乙9期 畑中嘉夫さん2020年05月01日 14時00分49秒

広島県出身。 ※九期生名簿
偵察、中攻。

『予科練外史』では畑中さんの出身地は岡山になっています。
乙7期の渡邉邦夫さんがお持ちだった広島県出身者集合写真(乙7~9期)の集合写真に畑中さんは写っていません。
どのような事情かはわかりません。



入隊直後の氏名入り班写真、2班。



辻堂演習。




操偵検査。



卒業間際、土浦海軍航空隊。
偵察分隊の班。


鈴鹿飛練。
熱田神宮。


大分飛練。

木更津大型機講習。











実施部隊、鹿屋空時代。

17年5月1日、おそらく鹿屋で開かれた「鹿屋空同期会」。78年前の今日です。

余談ですがこの写真に写っている9期生で終戦まで生き延びたのは中列左から2人目の河村徳市さんおひとり。
その河村さんが、戦後、偶然にも平山繁樹さんの息子さんと同じ職場。
息子さん、お孫さんを非常にかわいがってくれていたと、そんな話を先日うかがいました・・・・。





おもいで
通信時、手がくたびれたと言っては左手で打った。それが俺より早い。左手で打って右手で書くまさに二刀流、神業だった。

通信の神様。逓信講習所出身ではね。それに人格重厚よきリーダーであった。

広島逓講出で、通信訓練では助教格、スロータイプでちょいちょい宇都木教班長からたしなめられていた。

丈夫で長持ちのしそうな男だったのになあ。


牛澤四郎さん(偵察、中攻)に寄せられた「おもいで」にも畑中さんのお名前が出ていました。
鹿屋で畑中と同下宿。鹿屋市××のOさんが下宿の主人だった。いまでも俺は文通しているが手紙の末尾にきっと「牛沢さん畑中さんが生きていたらねー」と書いてある。下宿での記念写真を広げて久遠の冥福を祈っている。
※原文では××は住所、Oさんは実名

”通信の神様”、左手で打って右手で書く――。左右で別々の作業ができるってすごいですよ、これ。




『予科練外史』の「九期爆音会鹿屋空有志」の寄せ書き(現物の画像掲載)。

中攻隊ノ征ク所ニ敵ハ無ク 大東亜ヲ我等ノ鵬翼下ニ抱ク
                                 畑中嘉夫




坂田清一さんが写っている特練11期の集合写真(田中三也さんの『彩雲のかなたへ』掲載)に畑中さんも写っていると思うのですが、裏付けが取れていません。
たぶん畑中さんだと思うんだけどなー。




鹿屋空、(横須賀空・特練)、521空。





19年8月10日  1航艦司  南洋群島大宮島


グアム島です。





※画像は9期生ご遺族、ご家族ご提供

今日の豆苗2020年05月01日 20時04分32秒

朝起きたら、マメロクさんたちはとっくに起きていて、みなで陽を求めて曲がっていました(^^;)




日中は外に出して、ときどき向きを変えながら陽に当てました。
真っすぐに伸びました。



今日、初めてタイムラプスという機能でマメロクさんを撮影してみました。
失敗しまくったんですが(バッテリー切れ、タイマー設定ミスなどなど)、ちゃんと撮れたのをフェイスブックにアップしました。
でも、ちょっと短いですね。電源をつないでもっと長時間の撮影にもチャレンジしてみたいです。




晩ごはんはギョウザをしました。

時間がかかるのに、食べるのあっという間(´・ω・`)