三連休初日 ― 2020年03月20日 12時53分14秒
みなさん、こんにちは。
三連休初日ですが、いかがお過ごしでしょうか。
ぶっちゃけ、連休というワクワク感が皆無なわたし。
ふだんが4連休なので、3連休ではワクワクしない、というのもあるんですが、コロナ騒動で遊びに行けない、ってのが大きいですね。なんか買い物に行くだけで罪悪感があるというか。もしかして、うつるんじゃないか、(もしすでにかかっていたら)うつすんじゃないか、とか。
あー、春海さんは遊びに行っていますよ。
親は家でおとなしくしています。
ブログの更新ガンガンやりましょうか。
いや、やらなければいけないことがあるんですが。
「急ぎではない」と依頼主から言われたので、なんかわたしまでのんびりしてしまっています(^^;)
昨日、久し振りに本を買いました。
『犯人の犯沢さん』5巻と、森史朗『敵空母見ユ!』。
犯沢さん、家に4巻まであったのですが、わたしは2巻までしか読んでいませんでした。
昨日の夜、慌てて3巻4巻を読んで、やっと今朝5巻を読めました。
おもしろいですよ、これ。
コナンを見ている人は楽しめると思います。
『敵空母見ユ!』は瑞鶴のラバウル攻略作戦あたりなんですが、まだ真珠湾が半分ぐらい残っているんですよね(^^;)
昔は『翔ぶが如く』とか全巻、ほぼフルタイムで仕事に行きながら1週間ぐらいで読んでいたのですが、最近集中力の欠如か、読書がまったく進みません。
真珠湾、いつから読んでいるんだってくらい、時間がかかっています。
1月初めから南太平洋海戦を読み始めているので2カ月以上かかって1.5巻分ぐらいしか読めていないってことです。
南太平洋海戦
真珠湾 ←いまここ。半分ぐらい
ラバウル攻略作戦
もう1冊、ソロモン海戦が刊行されているみたいですが、いつ注文できるだろうか。
中名主巽さん 追記 ― 2020年03月20日 13時20分06秒
中名主さんの投稿の後、Kさんからいろいろとご教示いただきました。
1081空の戦死者を調べてくださったようです。
九期生名簿に記載されている戦死日、3月28日には1081空の戦死者は見当たらないそうです。
4月28日に分隊長の鈴木繁雄大尉(予10)が戦死されているそうなんですが、戦死状況が中名主さんの戦死状況と同じかと思われますので(一式陸攻での作戦空輸の帰途、上海・新竹間で敵機発見電の後行方不明)、中名主さんは鈴木分隊長のペアで、やはり中名主さんの戦死日は3月28日より4月28日の方が可能性が高いかと。
あと、「おもいで」の記述に関しても。
「おもいで」のひとつめの回想は偵察の高坂浪次さんの回想です。
高坂さんも中攻の偵察員のちケガで離脱のち輸送部隊になっています。
その輸送部隊の1001空で中名主さんと一緒になったようですが。
時期「18年の春」と書いていますが、1001空は開隊が18年7月1日だそうで。
高坂さんの記憶違いでしょう。
1001空にふたりがいつ着任したか。辞令上はふたりとも18年9月で、高坂さんの方が1週間だけ早い、ってのが真実のようです。ただし、実際にふたりがいつ顔を合わせたのか、そこまではわかりません。
なので「18年の秋」ってのが正しい記述かな、と思います。
で、一年後に中名主さんが厚木空に転属になり・・・・って書いていますが、中名主さんが1081空に転勤したのは19年10月なので、18年9月10月に再会したとしたら矛盾のない話です。
1081空はこのころ厚木にいたんですかね。
10期の久保さんも1081空にいてはったみたいなんです。
アルバムの中に「大和の下宿」と書かれた写真がありました。
で、以前久保さん宅に遊びに行ったときに、久保さんに中名主さんのことを聞いているんですよね。
そのとき書いたノートが出てきました。
それによると、久保さんは「9期の人で夜間戦闘機に襲われて戦死した人がいた」と答えてくれています。
「9期の人」という表現で、それが中名主さんなのかどうかわからないのですが、わたしが現時点で把握している中では、9期で1081空で戦死されているのは中名主さんだけです。
高坂さんは、中名主さんが1081空で3期の坂野井少尉(「坂井少尉」とタイプミスしていたので訂正しました)操縦のダグラスDC3で散華・・・・と書いているんですが、Kさんによると坂野井少尉は中名主さんが1081空に転出した直後に1001空で戦死されているらしいんです。
なのでこのあたりは記憶の混同があるのかなと思います。
戦後、20年経って編集された同期生会誌ですからね。
※画像は9期生ご遺族ご提供
考古学本の紹介 ― 2020年03月20日 13時50分06秒
清家章先生の『卑弥呼と女性首長』。
吉川弘文館から出ました。
何年か前に学生社から出ているんですが、今回は新たな研究成果も追加です。
こちらも吉川弘文館です。
国際シンポジウムでの発表をもとにした本です。
15人の先生たちの論文&コラム集です。
1本だけは4回も5回も読んでいるんですが、ほかはまだ読めていません。
んー、いつ読むんだって話です。
ついさっきもe-honで戦記をポチってしまった・・・・。
お出かけできない連休中に!(・∀・)
気合がかかった奴 ― 2020年03月20日 14時25分40秒
よくやっちゃうんですが。
いま読む気がないのに先にパラパラめくっちゃうという(笑)
森史朗さんの『敵空母見ユ!』もパラパラめくってしまいました。
7期の小見山賢太さんのお名前発見!
※大村空時代(昭和14年)
ラバウル攻略時の瑞鶴戦闘機隊の下士官搭乗員の説明がしてある中にお名前がありました。
『分隊長の眼からみると小見山二飛曹などは”気合のかかった奴”ということになるのだが』
「気合のかかった奴? どういう意味だ!?」
昨日、わたしはこれを発見してから、一日そのことを考えていて落ち着きませんでした。
「そうだ! 検索してみよう!」←さっき
ネット・コトバンクによると
「気合が掛かる 事に当たって、精神が集中し熱がこもる」
と書いてありました。
「そうか! 小見山さんは”事に当たって、精神が集中し熱がこもる人”なんだな!」
納得しました。
こういう、ちょっとでも人柄がわかるような回想があるとチョーうれしいです。
小見山さん、「二飛曹」って書かれているんですが。
この記述は真珠湾後、ラバウル攻略作戦前の記述です。
7期のみなさんはこの当時すでに1飛曹に進級されています。←西澤さんとか。
だいぶ前にわたしは小見山さんが真珠湾時、いやインド洋作戦時ですら「二飛曹」になっているのに気づいて、Kさんに尋ねたことがあります。
「行動調書の記載ミスですかね」
みたいな感じで。
そしたら、本当に進級が遅れていてですね。
遅れた理由はいまだにつかめてないのですが、なぜか飛曹長進級時(18年11月)にほかの7期生に追いついているというね(^^;)
こんなことがあるんですね。
ちなみにKさんによると、小見山さんはエース列伝にお名前はありませんが、撃墜数的にはエース列伝に載るレベル、「かなり多い方」だそうです。
※画像は武田信行氏ご提供
九州物産展3 ― 2020年03月20日 20時14分48秒
しめは天文館むじゃきのシロクマ!
イートインのシロクマもあったようなのですが、わたしは家族のために、家族のために、家族のために、持ち帰りのシロクマを買って帰りました。
初めて「大」購入。
丼にあけて・・・・これをスプーンでゲシゲシ叩き砕いて3人で分けて食べました。
数年後、春海の初給料で一人1杯のシロクマを食べるパパママ家の姿が・・・・(涙)