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加賀沈没時の松本勝正さん2019年10月26日 20時09分30秒

今日は南太平洋海戦のあった日です。
9期では村上守司さん(翔鶴)、山内敏昭さん(瑞鶴)が、先輩では6期の山岸昌司さん(翔鶴 村上さんのペアの操縦員)が亡くなられています。

村上守司さん

山内敏昭さん
橿原神宮の瑞鶴慰霊碑横の戦没者名録にお名前があります。

山岸昌司さん





その2年後の10月26日には戦闘303の西澤廣義さん(7期)、松本勝正さんが、便乗していた輸送機が敵機に襲われ戦死・・・・。

麻雀をしている西澤さんと、それを見物?している松本さん。



ご命日だなあ・・・・と思って松本さんの写真を見返していたら、こんな写真が目にとまりました。
二種軍装。
右袖に善行章1線、階級章は三飛曹、左袖に特技章。



裏書には、

昭和十七年八月寫ス
松本勝正
筑波航空隊教員

と書かれています。



そういえば6空だった松本さんはミッドウェー海戦で便乗していた加賀が沈没し、命からがら脱出したんだったなあ・・・・。

助かった松本さんは6空に合流することはなく、7月末、筑波空に転勤して教員に。
なので、上の写真は転勤直後のものと思われます。
小船井写真館(阿見)の刻印が入っているので、予科練に元気なお顔を見せに来たのかもしれません。


沈没から半年以上を経た18年1月、家族にあてた手紙。
『過日〇〇開戦に参加致し、不覚や敵弾を艦は受けて火だるまとなりたるに、幸にして私は一室に逃げ、数時間煙と瓦斯に苦しみ乍ら焦げる様に暑い室で頑張りました。室を出て通路を通って逃れやうとしても、深紅に見える通路に、屍足を置く処もない程・・・・。
虫の息で「畜生アメリカの・・・・」と云ふ大焼傷をした兵隊の声。手の無い者、足の無い者、まるで生き地獄でした。地獄とはあんなものかと思ひました。
私の身代わりに神様がなられ、幸にして半死半生の態で窓から海中に飛び込みました。
艦の姿が見えなくなり程大きいうねり、海豚に追われ乍ら○○艦に救助され、約○○日馬鹿の状態で内地に帰へって参りました。帝国の至宝は何人死んで行った事でせう。
私は一度ならず二度ならず三度・・・・死から脱しております。
――中略――
書いてはならぬ事を書きました。お読み終りましたら御焼却くださいませ』

加賀艦内の壮絶な最期の様子の一端がうかがえます。




※画像は6期生ご遺族、9期生ご遺族ご提供
武田信行編『ジュンちゃんへ・・・戦争に行った兄さんより 少年航空兵・松本勝正からの手紙』風媒社

激おこ春海2019年10月26日 23時42分59秒

春海、先日面接を受けたそうですが、その前日、部活の後輩が、
「春海さん、頑張ってください!!」
って納豆をプレゼントしてくれたそうです。

さすが体育会系部活。納豆での激励とは。




昨日だったか、学校から帰ってきて冷蔵庫を開けた春海がすごい剣幕で、
「ママ! はーちゃんの納豆、食べた!?」
と言ってきました。

「知らんがな(´・ω・`)」

「はーちゃんが○○ちゃんにもらった納豆がない!」

「パパじゃないのー? そんなに大事なら名前書いとけ」

「書いといた!!」


↓この状態の納豆をパパに食べられたとかで激おこでした(爆笑)
納豆自体の包装の柄のせいか名前が見づらいですね。本人もそう思ったのか念のために一番上のパックにも大きく名前を書いていたらしいです。が、それを食べられちゃったそうです。

今日、めっちゃパパを責めていました。

家族のいさかいの原因が納豆を食った食わないのパパママ家・・・・orz





ちなみに面接前日の春海。

我が家は平和です。