軍艦瑞鶴慰霊祭 ― 2019年10月25日 23時28分11秒
今日は瑞鶴の慰霊祭に参列してきました。
雨が降ったりやんだり。
飛練10期鈴鹿の偵察専修生たちが写真を撮った畝傍御陵前駅側の参道の鳥居は新しくなっていました。
慰霊祭の前に、9期の平山繁樹さんのお孫さんご一家と食事をしました。
初対面だったのですが、それまでメールでいろいろやり取りをしていたので初対面の感じがせず(^^;)
わたしのところにある写真データや資料等、お渡ししました。
繁樹さんのことで、わたしの中で「?」なことがあったのですが、それも解決しました。
お孫さんはご存じなくて、その場でお父さん(繁樹さんの息子さん)に電話をかけて聞いてくださったのですが、「あっ!」という間に解決しました(・∀・)
遺品のバックルの現物も見せてもらいました。
触っていいんかな?って感じでしたが(汗)
お孫さん的には、大事に大事にあがめたてまつっているというよりは、もっと身近な、いつもお守り代わりにしているものみたいです。
このバックルに関して、Yさんが田中三也さん(甲5、特練偵察2期)に画像を送って話を聞いてくださいました。
以下、Yさんから。
『特練というのは、非常に名誉なことで、これに選ばれることは何事にも変えられないほど搭乗員として誇りに思えることだったそうです。
が、防諜上の理由から、特練卒業の徽章が廃止されることになり、なんらかの形で記念になるものを、ということで先輩たち(一カ月くらいクロスしていた)がヤイヤイやっていたのを見ていました。それが、バックルだったのでしょうと。
田中さんらは2期なんですが、戦局の悪化や、精神的に余裕もなく、何も記念品的なものは手にすることができなかったとのこと。
でも、今でも特練を卒業したことは何事にも替えることのできない名誉なことと、誇りに思っています。平山さんも同じ思いでいらしたことでしょうと、ご遺族にお伝えしてください』
と、ご伝言があったそうで。
平山さんのご遺族の方にはそのままお伝えしておきました。
特練偵察1期が何人採用されたのか知りませんが、もともと作られた数が少なかったと思われます。いったいいくつほど現存しているか・・・・。非常に貴重なものだと思います。
これは繁樹さんの残したものという意味では世界にたった一つ、まさに何物にも替えがたいものですね。
あと、繁樹さんの遺品としては白いマフラーがあったはず、と言われていました。
見てみたいです。
食事のあと慰霊祭に一緒に行ったのですが。
レストランを出る前にですね。
繁樹さんのひまごちゃん(4ヶ月)を抱っこさせてもらったんですよ!!(・∀・)
ツーショットを撮ってもらいました!
落とすんじゃないか。
泣かすんじゃないか。
と、心配でしたが、何とか落とさず泣かさず、無事に写真を撮ってもらいご両親に戻すことができました(^^;)
ご両親がカメラのところでめっちゃ頑張ってくれはったおかげで、めっちゃ笑っている写真を撮ってもらえました(*´▽`*)
ホントに今日はいろいろと感激して帰ってきました。
ありがとうございました。
※画像は9期生ご家族ご提供