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乙9期 中門清司さん2019年08月22日 22時24分35秒

石川県出身、操縦、中攻。


たぶん読みは「なかかどせいじ」さんではないかと。

1学年2班。


これは大楠山の慰安行軍ですかね。お弁当タイム。

左端です。



操偵検査。
松本さんの書簡集に掲載されている写真です。
前列中央が教員の原田要さん。その左横・松本勝正さん、右横・米盛朴さん。
後列は左から今村文三郎さん、山口浜茂さん、前川重美さん、中門清司さん。

5班(松本、前川、今村)、2班(山口、中門)、7班(米盛)と、わりとまとまりのないグループ(^^;)










「おもいで」
水泳長距離選手で、一五〇〇米の決勝の時、教員のミスで一四〇〇米を終わったところでストップし後一〇〇米を疲れも見せず泳ぎ終わって優勝した。

石川輪島塗の本場出身。同班でカッター訓練でお世話になった。




飛練は中練・筑波。
実用機・大分。
大分空時代。


大型機・木更津。
卒業時の集合写真です。

卒業後、鹿屋空、751空。


鹿屋空の9期生といえばいままで何かとブログにも登場しているのですが、なぜか中門さんはいらっしゃらないことが多くて・・・・。

・九期爆音会鹿屋空有志(本隊員)寄せ書き→支隊員のため不在
・鹿屋空同期会集合写真→なぜか不在
わたしが勝手に「中門さんのツレ」認定している谷口さんはここに写っているんですけどね。
※ズボンまで脱いじゃっている人

中門さんと谷口さんは同じ舞鶴管轄で同じ中攻操縦員。
誕生日も8日違うだけ。
予科練(横須賀→霞ヶ浦→土浦)、飛練(筑波、大分、木更津)、実施部隊(鹿屋空→751空)と、谷口さんが18年1月27日に戦死するまで同じ隊でした。




18年11月12日 751空 第4次ブーゲンビル島沖航空戦


と、「9期戦没者」(2012年8月15日投稿)に書いていますが・・・・。

行動調書に書かれた「12日」の一番最初の行動時間は「0000」になっているので、12日0000から作戦が始まっているのかと思っていたのですが、どうもこれは「13日0000」のことではないかと。
佐藤暢彦さんの『一式陸攻戦史』のこのくだりを読むと、やはり中門さん戦死は13日のことだと思われます。


行動調書や『一式陸攻戦史』をもとにまとめてみると、
桑折邦重上飛曹(751空 乙10)操縦の接触機が12日2315発進。
中門機(751空)が702空の陸攻6機とともに出撃、0000。  ←ここから13日に日付がかわっていますよね?
751空飛行長・足立次郎少佐率いる攻撃隊5機が0020出撃。
足立隊0205「敵を見ず」打電、引き返す
702空隊0242~0252敵大部隊発見(おそらく中門機も一緒)
桑折機0302敵大部隊発見打電(受信されず) 戦果確認
中門機0320「敵巡ニ対シ偵察後雷撃ヲ決行シ命中確認 尚雷撃決行後自爆セルモノト推定ス」
足立隊0501帰着
桑折機0515帰着


桑折機が発見した「敵大部隊」と702空(中門機含)が発見した「敵大部隊」が同じ集団だったのか。
桑折機の行動調書記事欄に0302「敵大部隊発見」のあと「戦果確認」と書きこまれているので、もしかしたら、中門機の記事欄に「命中確認」と書かれてあるのは居合わせた桑折機が見届けてくれたのか。そうするとつじつまが合う?

この攻撃で702空側の接触機1機と中門機が未帰還。

751空の行動調書の戦果(中門機)は「敵巡大破又ハ轟沈」。
702空側は「戦艦×1、空母×1 大破  大巡×1、巡洋艦×1 轟沈   駆逐艦×1 撃沈」

『一式陸攻戦史』によると、米側は重巡デンバー(wikiには軽巡)が後部に被雷して曳船に引かれて泊地に戻ったとのこと。

702空側の戦果もあるので、実際の戦果がどの機のものか行動調書を読んだだけではわからないです。




というわけなので、中門さんの戦死状況は訂正します。


18年11月13日 751空 第4次ブーゲンビル島沖航空戦



※画像は9期生ご遺族・ご家族ご提供

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