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乙9期 井野久男さん2019年06月27日 12時37分06秒

福岡県出身、偵察、中攻。
※「熊本」と書かれたものもありますが、「九期生名簿」「予科練外史」が「福岡」、さらに熊本出身者の集合写真に写っていないのでここでは「福岡」にしました。


1学年14班。


東京行軍、海軍館前。



掃除中かな?
よくわからないんですが、みんな楽しそう。
中に黒っぽいシャツを着ています。これ、写っているのレアです。たぶん防寒服なんでしょうね。






偵察分隊の坂田さんの班写真に写っていました。後列左から3人目。



艦務実習・山城の集合写真。
日当たりの関係で、この写真、みんな顔がコワいです(^^;)


卒アルに掲載されていた、通信の授業中の井野さん。
この写真の名札に「井野」と書いてあります。




【飛練鈴鹿】
運動会、角力競技優勝の記念写真から。


飛行服の井野さん。



【飛練大分】


【大型機講習木更津】





「おもいで」
平山と並んでいつも分隊対抗の相撲の大会に出て活躍してくれた。

その重厚さはすでに大人物の風格があった。




「平山」というのは同じ福岡県出身の偵察員・平山繁樹さんです。
井野さんとは1学年時同班、同県出身、同じ角力部です。





高雄空、753空、鈴鹿空。


19年9月18日  鈴鹿空  伊勢湾上空にて事故殉職






井野さんが殉職で亡くなっていることは「九期生名簿」にもはっきり書かれているのでそれはわかっていたのですが、わたしは上に書いた状況しか把握していませんでした。
おそらく鈴鹿で偵察教員をしていて、訓練中に事故にあったんだろうな、ぐらいの想像はしていましたが。

殉職で亡くなった人はここに書きにくいです。
無念すぎて。
いや、戦死ならいいのかというと、そういうことではないです。
ただ、かれらは予科練に入ったときから、ある程度、自分の最期に関して「戦死」ということは頭にあったはず。すでに支那事変は始まっていましたから。
しかし、自分の最期が「殉職」と想像した人はほとんどいなかったと思うんです。殉職の可能性もあることはわかっていても、自分でそれを望んだ人はいなかっただろうと思います。

そういう理由と、殉職時の状況がよくわからなかったこともあって、井野さんのことを書くのが遅くなってしまいました。


わかったので書きました。
予備生徒の吹流射撃訓練中に、乗機(白菊)が海に墜落して殉職されたそうです。
一緒に訓練をしていた指揮官(他機)の目撃証言があり、どうもエンジン不調で墜落したような感じです。

一緒に殉職したのは操縦員・菅沼龍哉1飛曹(予備練14)と第1期予備生徒3名。小島了さん、雨宮秀光さん、田村徳治さん。

わたしは「予備生徒」という制度がどういう制度か知らなかったので、Kさんに尋ねてみました。
大学などから海軍に入った飛行予備学生(予学)は皆さんご存じだと思うのですが、それの「学歴が違う」版、みたいです。
予学14期と同じときに海軍に入ったのが予備生徒の第1期なんだとか。
ただ、「学歴が違うだけ」ってわけではなく、のちの進級も差があったそうです。
今日の本題ではないのでこれ以上はやめておきます。



井野さんと菅沼さんのご遺体の状況は確認しました。
特に井野さんはお顔を知っているので・・・・文字で読むのもつらいような状態でした。
鈴鹿空の軍医が検視したようです。ということは墜落した飛行機は引き揚げられ、中に搭乗員たちがいたのでしょうね。予備生徒3名の状況はわたしは把握していません。



※画像は9期生ご遺族、ご家族ご提供。Kさんにさまざまご教示いただきました。

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