乙9期 岸本正好さん ― 2019年02月21日 10時45分49秒
徳島県出身。
偵察、水上機。

1学年4班。

これは霞ヶ浦。
島田さんの遺品の中にあった写真です。熊谷教員転勤に際しての集合写真。


岸本さん、予科練の卒アルにこんな写真がありました。
わたしはこのお顔からだけでは岸本さんだとわからないんですが、名札に「岸本」と書いてあるので岸本さんなんでしょう。

岸本さんは写真館での個人写真もありました。
これは萩谷さんが所有していました。
【飛練鈴鹿】
これも島田さんの遺品の中にあった集合写真です。
運動会の優勝記念の班写真。


予科練、飛練を通して、島田さんは岸本さんとは何かと縁があったのかなと思います。
このあとの博多でも一緒だし。

鈴鹿卒アルの最後のページ、笑顔の岸本さん。
【飛練博多】

博多の卒業記念集合写真。
飛練卒業後は山陽丸。
植木愛雄さんが島田さんに送った手紙にこんな一文がありました。
16年11月16日の日付けが入っています。飛練を卒業し、実施部隊に配属になってすぐ、ぐらいの時期です。ちなみに植木さんは神川丸です。
『■■(不明)に十一月一日で向った期長、森、岸本等の船が二番艦で何時も一緒と言った様な有様だ』
■部分は、上は木へんの漢字、下は「湾」かも?
橘湾?と書こうとした?
「期長」は乙8期からいつの間にか鈴鹿の飛練10期生と合流していた古寺慶三さん。

17年11月3日 山陽丸 ソロモン諸島
「森」は森健次さん。

戦後生存。
植木さんが「二番艦」と書いているのは山陽丸のことです。
先日、山陽丸の搭乗員関係の写真を見せていただく機会があったのですが、岸本さんはかなり早くに転出してしまったようで、わたしが見た中には写っていませんでした。
古寺さんも。1枚だけ「もしかして古寺さん?」というのはあったのですが、現時点でわかりません。
森さんは複数枚、写っていました。
「おもいで」
山陽丸で一緒だったな。東港基地で航通訓練中、日没時まで帰投しなかったときは全く心配したぞ。
小柄なファイトマン。よくやった。愛すべき友よ。
はじめのうち気の食わない奴だなあと思っていたが、鈴空で机を並べてからすっかり意気投合した。戦争後期まで活躍を聞いていたので生き延びていると思っていたが。
小柄なファイトマン。よくやった。愛すべき友よ。
はじめのうち気の食わない奴だなあと思っていたが、鈴空で机を並べてからすっかり意気投合した。戦争後期まで活躍を聞いていたので生き延びていると思っていたが。
岸本さんは山陽丸のあと、いったん内地に戻り、最終的には鳥海でマリアナ沖で戦死されています。
19年6月19日 鳥海 マリアナ沖
※画像は9期生ご遺族、ご家族ご提供
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