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訂正です2019年02月15日 07時53分29秒

昨日の今日で申し訳ありません、訂正があります。

昨日出した7期西義武さんのところに書いた、7期飛練の件です。


陸上機専修班の集合写真に西さんが写っていない、ということを書いて、


Kさんによると、7期飛練は13年8月15日、操縦専修生たちは水上機・陸上機ともに霞ヶ浦航空隊に入隊し、13年12月15日に水上機班だけが鹿島空に移動したらしいんですよね。おそらく初練を陸上でやって、中練から水上機で、ってことなんでしょう。


と書いているんですが。

Kさんによると、12月15日に水上機班が鹿島空に移動したのは初練から中練に移行したためではなく、鹿島空が新設・開隊されたための移動、だそうです。
申し訳ありません、訂正します。



9期に水上機操縦がいないので、水上機操縦専修生たちがどんな飛練時代を送っているか、よくわかっていないところがあります。
まず、どの時点で陸上機と水上機に分離したのか?
飛練の最初から分離していたとすると、この集合写真は12月15日よりもっと早い時点での撮影かも知れません。
写真からだけではわからないです。襟にモフモフの毛皮?をつけているので寒い時期かなとも思うし、軍帽に白いカバーをつけている下士官(教員?)もいるので夏季に近い時期かなという気もするし。
ちょっとわかりません。


とにかくこの写真には西さんが写っておらず、撮影時点ですでに偵察に移っていた可能性が高いってことです。
予科練卒業後すぐに偵察に移ったんだろうか?



予科練は最初の一年ほどは偵察操縦関係なしの教務が組まれていますが、一年が終わる頃に操偵適性検査というものをやって練習生の偵察・操縦の適性を見分け、二学年からは偵察分隊・操縦分隊に別れて教務を受けます。7期生で約1年、9期生で約1年3か月、偵察員になるための教務、操縦員になるための教務を受けているんです。予科練中はまだまだ一般の学科が中心とはいえ、分隊を分けているからにはそれなりの教育をしています。


西さんの件で、1年間操縦員になるための教育を受けていた人に急に飛練から「おまえ偵察に行け」ということがありえて、しかも適応できてしまうんだなあ、とかなり驚きました。

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