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乙9期 繁富悦行さん2018年11月08日 08時27分00秒

繁富さん、あまり写真がありません。

広島県出身、偵察、艦上機→銀河?

「えつゆき」とか思っていたのですが、「よしゆき」と読むんじゃないかという話がありまして・・・・。



氏名入り班写真
1学年3班


東京行軍 海軍館前

これ、いいですよ。
たぶん横須賀時代の大楠山慰安行軍。お弁当の時間。

繁富さんも写っています。



霞ヶ浦時代、操偵適性検査。
萩谷さんが持っていました。
前列左から萩谷幾久男さん、教員、野村茂さん。
後列左から筒井富雄さん、永田慶士さん、繁富悦行さん、川原与三郎さん。
よく考えたらここに写っているメンバー、萩谷さん以外書いていないですね・・・・。




艦隊艦務実習・山城。
この集合写真、日当たりが良すぎてみなの顔が若干コワいです。





3学年卒業間際、土浦海軍航空隊。
藤原国雄さんが同班だったようで、一緒に写っていました。

後列の右から3人目です。他の人とと比べると色黒かな?


これ、卒アルの写真で、何かの実習中? 機械の組み立てでもしているのでしょうか。
ふつうこの角度だとなかなかわからないのですが、これは名札に「繁富」と書いてありまして。
学年は2学年。



飛練鈴鹿
鈴鹿時代も藤原さんと同班だったみたいで一緒に班写真に写っていました。


繁富さんの写真、これが最後です。

鈴鹿のあとは宇佐で実用機をされたので写真がありません。




「おもいで」
大人しいノッポ。

何を言われても怒らない。それかといってどこかやさしいところのあった君。愛すべき同窓だった。




宇佐卒業後は瑞鶴、祥鳳、横空、練習航空隊を経て、攻撃405飛行隊。


16年12月8日の真珠湾攻撃時は瑞鶴艦攻隊。
第2次攻撃隊、水平爆撃隊の電信員として攻撃に参加しています。
攻撃時の繁富さんの心境に関しては『予科練外史』(倉町秋次)に紹介されています。

「夢中で、何もかも、夢を見ているような気持であった」
これが「瑞鶴」艦攻の電信員、繁富悦行三飛曹(乙九)の偽らざる実感であった。彼は初陣。飛練教程を終了してまだ二か月も経っていない。攻撃目標はヒッカム飛行場であった。広島県出身、父を早く失い母一人子一人であった。




祥鳳時代のことも『予科練外史』に同期生・大塚孝平さんから聞いたとして、次の様な話が紹介されています。

「祥鳳」の最期について、「祥鳳」の九七艦攻偵察員であった大塚孝平二飛曹(乙九)から次のような手紙をもらった。
――それはモレスビー上陸作戦だったのですが、これが半ばまで行った時、既に敵機の哨戒の目にとまり、今度の珊瑚海海戦は火蓋が切られたのでした。ハワイの時には(大塚は「翔鶴」の搭乗員として参加)勝って勝って面白い戦争でしたが、今度は、この戦いの第一の犠牲となって自分の母艦「祥鳳」は敵の猛烈な集中攻撃を受けました。初めのうちは、突っ込んで来たヘルダイブの爆撃も皆はずれて、なンだ、このざまは・・・・と思って居りましたが、続いて来た数十機の攻撃は、敵ながらなかなか見事なものがありました。そして勇敢にやって来ました。あたまからヤンキーなどとバカにするのはどうかと思います。
自分の艦も、攻撃準備成って、さあ!という時に一歩早く敵が来たのです。実に残念でしたが、その時はどうしようもなく、最善を尽くして猛烈な防禦砲火を送ったのですが、母艦は遂に爆弾で火災を起こし、舵をやられ、自由を失った所を、四方から雷撃機が蜂のようにやって来るのです。本当に箒でもって叩き落としてやりたいようでした。
艦首は砕かれ、艦が傾斜して来た時でも、いや、自分の艦は絶対に沈むようなことはない、と最後まで思って居りました。勿論そのころは、火煙に包まれ、戦友の屍で大変でした。益田増雄、野田実、繁富悦行も一緒にいたのですが、いつの間にか見えなくなってしまった。どうしたんだろうと気になるのですが、どうすることもできません。
気がつくと、自分は腕を組んで甲板に立って敵機を見ておりました。益々つけこんでやって来る。放った爆弾が黒く光って「ヒュー」とうなって降って来るのがはっきり見える。雷撃機が魚雷を放って行くのもよく見えました。
そのうちに続いて二弾、自分の間近に炸裂、その爆風で自分は吹き飛ばされて海中に落ちたらしく、気づいた時には、目の前を、煙りと焔に包まれたわが艦が、静かに進んで行くのが見えました。何分経ったか、艦と三○○米位離れた時、艦は大きく前に傾いて、海面から姿を消してしまいましたが。その時の胸中を察してください。
〈あゝ、俺は南緯十何度の海で死んで行くのか。〉と思った時は、生命が惜しいというのではなく、本当に淋しい思いでした。僚艦も皆水平線の彼方に、マストも見えなくなってしまいました。残るは水平線だけ。あたりは真っ黒い重油の海。どこからか重傷者の苦しげな声がする。見渡せば点々と人影も見えました。全く口惜しい。その中で九時間半漂流していて救助されたのです。益田も繁富も、傷一つなく助かりましたが、野田は運悪く爆弾の直撃でやられてしまったのです・・・・以下略


大塚孝平さん

野田実さん

益田増雄さん







戦死されたときの乗機は銀河でしょうか。そこはちょっと確認できていません。

19年10月15日  攻撃405  九州東方海域索敵哨戒中不明



※画像は9期生・10期生ご遺族ご提供

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