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十八年七月 横浜にて2018年09月11日 16時37分18秒

十八年七月
横浜にて



これも、台紙の書き込みと写真が別々の場所に離れていました。

書き込まれていたお名前から、この写真が「十八年七月 横浜にて」の写真であると判断しました。

立膝組、左から、
吉野二飛曹(副電信員 小生の三期後ハイ)
宇賀飛行兵長(副操縦士)
鈴木二飛曹(副操縦士)
石田一飛曹(主電信員)
日高二整曹(副機関士)

あぐら?組、左から、
小林飛行兵長(副航空士)
和田中尉(機長操縦)
佐藤上飛曹(主航空士 甲飛二期)
小松上整曹(主機関士)




ペアの一部入れ替えがあったのかな、という感じがします。
初登場の人だけ。

吉野二飛曹・・・・吉野大さん(乙12)

宇賀飛行兵長・・・・宇賀定吉さん(丙8)
20年1月29日 901空 戦死

日高二整曹・・・・日高達文さん
前に石田さんとのツーショット写真を出した人です。
宮崎出身ということで、石田さんの奥様にも、
「日高さんのフルネームを石田さんから聞かれたことはないですか?」
と尋ねてみたのですが、聞いた覚えがないとのことで。
全国的に日高ってめずらしい姓でしょうか。
が、宮崎に行くと、クラスに2人・3人はいる姓です(^^;)
「日高さん」ではまず通じません。絶対に下の名前とかあだ名で呼ばれますね。わたしの友だちにもいーっぱいいます。わたしの大好きななんじゃこら大福もお菓子の日高だしね!
「宮崎の日高さん」ではまず個人の特定はできません。
そんなわけであきらめていたんですがKさんがお名前を探し当ててくださったんです。

日高さんも19年5月7日に九七式輸送艇でトラックからサイパンに向かっていて敵機に遭遇、行方不明、戦死認定された元ペアのお一人でした。

飛行艇のペア写真で日高さんが出てくるのはこの18年7月写真が最初です。
上の石田さんとのツーショットもこれの前後の時期に撮られたものかな、と思っています。
※台紙の書き込みも写真館の刻印もないのですが、上飛曹進級時頃、横浜と書き込みのある石田さんとお母さんのツーショット写真の背景とたぶん一緒なので、撮影場所は横浜でしょう。
上着が一種、軍帽も日よけ付きなので夏季でしょう。

宴会写真のお二人、楽しそうですね。
階級は違いますが、同年兵らしく(13年)、意気投合されていたのかもしれません。


和田中尉はここでもネクタイですね。
何枚ものペア写真に写っているのですが、宴会写真ばかりで、軍服・飛行服姿の和田中尉はありませんでした(笑)
あ、ちなみに和田中尉登場はこの宴会写真が最後です。


石田さんペアの宴会写真は、いつも和気藹々、楽しそうです。
わたしの想像ですが、たぶん、機長・和田中尉の人柄なんだろうな、と。





別に石田さんの写真に限ったことではないんですが、宴会写真ってホント、おもしろいです。
酒の入り具合にもよるかもしれませんが、人間の本性が垣間見えると言いますか(笑)
「この人、こんな場でも理性を保っているな」
とか、
「この人、はっちゃけてはんなあ(苦笑)」
とか、
「おねーちゃんにそこまでしていいんですか!?(驚愕)」
とか(笑)






※画像は9期生ご家族ご提供

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