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乙7期 戦闘機 大村海軍航空隊2018年07月03日 13時20分07秒

※7月4日、Kさんからご教示いただき加筆および修正しました。赤字。

これは武田信行さんに見せていただいた集合写真です。西澤さんの。
ペンネントは大村海軍航空隊。
後ろの鳥居の扁額は判読不能。

14年の9月10月ぐらい。
7期は14年11月に下士官に任官しているので。

この中で、お顔がわかっていた人。
西澤廣義さん
福本繁夫さん
大住文雄さん

ちょっと前に、
鈴木軍治さん
がわかりました。

上の人、全員戦闘機の人なので、7期戦闘機の人たちの集合写真だろう、と思っていました。


『日本海軍戦闘機隊2』【エース列伝】の巻末の期別戦闘機搭乗員名簿によると、乙7期で最初から戦闘機専修だったのは、

稲永富雄さん
井村二郎さん
大住文雄さん
加藤祐昌さん
窪田晴吉さん
菊池利生さん
小見山賢太さん
杉山輝雄さん
鈴木軍治さん
碩一雄さん
高橋亨さん
高森明さん
手塚時春さん
西澤廣義さん
林富士雄さん
檜垣英次郎さん
秀寿さん
福本繁夫さん

戦没者の方は横に戦没の年月日が書いてあります。
書かれていないのは、高橋亨さんと福本繁夫さんだけ・・・・。

写真を照合している過程でKさんに疑問点など聞いたりしたんですが、高橋さんの方は大分で訓練中に事故に遭って、どうも海軍を辞めているのではないかということで。
なので、実質、最初の戦闘機メンバーで生き残ったのは福本さんだけ、ということでしょうか・・・・。
※のちに他機種から戦闘機に転科した人が何人かいて(川上福寿さん、古賀鉄次さん、高山泰治さん、長野一敏さん、原田久男さん、前田利秋さん)、川上さんと高山さんが戦没年月日が書かれていません。


この名簿を参考にしながら、卒アルの写真と照合しました。
福本繁夫さん

杉山輝雄さん
19年2月4日 253空 ニューギニア方面

高森明さん
15年12月16日 加賀 訓練中 公務死    ※殉職ということでしょうか?

不明①

菊池利生さん
16年12月24日 台南空 比島

秀寿さん
18年10月6日 252空 中部太平洋

檜垣英次郎さん
18年11月8日 翔鶴 ソロモン

加藤祐昌さん
19年5月7日 戦闘311 ニューギニア方面

碩一雄さん
17年10月26日 瑞鳳 南太平洋

林富士雄さん
17年4月9日 翔鶴 ツリンコマリ―攻撃

三本延良さん

小見山賢太さん
19年6月19日 652空 マリアナ沖海戦

大住文雄さん
18年1月15日 202空 蘭印 戦病死

手塚時春さん
16年12月10日 3空 比島方面

稲永富雄さん
16年12月8日 加賀 真珠湾攻撃

鈴木軍治さん
17年10月23日 6空 ソロモン

窪田晴吉さん
19年10月25日 戦闘165 比島沖

井村二郎さん
19年6月20日 652空 中部太平洋

河野安次郎さん
16年12月8日 台南空 比島攻撃

西澤廣義さん
19年10月26日 戦闘303 比島

※戦没状況は『予科練の空』を参照しました


以前から、
この写真の西澤さん、かっこいいわ~
と思って見ていましたが、よく見たら、みんな、かっこよかったです。

大村空時代といったら、飛練を卒業し特技章をもらい、善行章もついて、さらに延長教育の戦闘機訓練を一通り終えた段階です。
みなさん、頼もしい面構えです。

どれが誰さんがわからない状態で見ていると、一人一人のお顔がよく見えていないんですよね(^^;)
ちゃんとわかって見ると、全然違うものが見えてきます。


杉山輝雄さんは【エース列伝】に掲載されていて、18年11月201空時代というお顔がアップで出ているのですが、雰囲気が違っていてわかりませんでした。卒アルの写真を見てやっと認識しました。


秀寿さんはミヤブンの同僚ですね。
わたし、ミヤブンがお元気だったころに秀さんのことを聞いたような記憶があるんですが、ブログを検索しても出てきません。勘違いなのか、聞いたのに書いていないだけなのか。ノートに書いているのか。
申し訳ないです。


檜垣英次郎さんは、お名前とお顔、「どこかで見たことがある」と思って、Kさんにもいろいろ聞いたんです。勤務した航空隊とか。Kさんご存じの範囲で教えてくださったのですが、翔鶴以外わたしが写真を持っているような隊はない・・・・。
ずっと引っ掛かっていたのですが、昨日、偶然わかりました。
見つけました、檜垣さんのお写真。5、6年前から持っているファイルに入っていました。飛行服姿のかっこいいお写真でした。

それとは別に、翔鶴戦闘機隊の集合写真にも写っていました。
谷水竹雄さんの写真です。谷水さんの字か、「翔鶴戦闘機隊(ブーゲンビル戦前)」と書き込みがあります。搭乗員の名前も書きこんであります。

檜垣英次郎さん。
まだ上飛曹の階級章をつけています。
11月1日に飛曹長に進級し、8日に亡くなられているので・・・・10月末ぐらいのお写真でしょうか。

同じ写真に窪田晴吉さんも。


加藤祐昌さん
9期の柴田勉さん(戦闘311)と同じ戦闘で戦死されています。
吉野泰貴さんの『南海の海鷲たち 南西方面の日本海軍航空隊』によると、19年5月3日に戦闘311は381空から153空に編成替えがあったように書かれています。
加藤さんの戦死時の航空隊は381空でいいのかな?
※戦闘311に訂正しました。


碩一雄さん
当日の行動調書を探してもお名前が見当たらないんですよね・・・・。
でも、瑞鶴の戦没者名録では南太平洋海戦の戦死者のところにちゃんとお名前が刻まれています。
※『予科練の空』には「瑞鶴」と書かれてあり、橿原神宮の瑞鶴の戦没者名録にもお名前が刻まれているのですが、Kさんから戦死時は「瑞鳳」とご教示いただきました。その上で瑞鳳の当日の行動調書を見たら、ちゃんとお名前がありました。瑞鳳戦闘機隊の集合写真にも写っていました。


林富士雄さん
卒アルや行動調書、『日本海軍戦闘機隊』では「富士雄」、『予科練の空』や山口良一さんの日記では「富士夫」になっているんですが、実際、どうなんでしょう?(^^;)
ご遺族の方に聞かないとわからないですかね。


三本延良さん
卒アルの三本さん。
Kさんから「不明②さんは三本さんでは?」と情報をいただき、卒アルの写真を確認したところ、たぶん同一人物だろう、と。


小見山賢太さん
いま、めっちゃ気になっている人です。
管理画面に個人記事を書いて置いているんですが、まだ出せないかな。
わからないまま、出してしまうかもしれませんが。
ほとんど母艦勤務ですが【エース列伝】に掲載されていいぐらいの戦果を挙げられているそうです。
しかし、気になっているのはそこじゃない。


大住文雄さんは『日本陸海軍英雄列伝』に載っていたので、けっこう以前からお顔とお名前を知っていました。
それによると、17年10月3日のガ島攻撃の帰途、燃料コック凍結のため燃料切れになりイザベル島のジャングルに不時着、22日間歩き続けて生還。疲労と不時着時の負傷、マラリア、デング熱のため18年1月20日に亡くなったと書いてあります。15日なのか、20日なのか。


手塚時春さん鈴木軍治さんは、飛練時、西澤さんのペアです。
前列、教員と西澤さん。
後列、手塚さんと鈴木さん。

前列、西澤さんと鈴木さん。
後列、手塚さんと教員。

教員は違う人ですね。

鈴木軍治さんも、ずいぶん前から管理画面に書いて置いているんですがいまだ出せていません。
この人は飛練10期(乙9期主体)戦闘機専修@大分の教員です。誰を担当していたかはわかりませんが。ペア写真でも出てくればなーと思うんですが。


河野安次郎さんは【エース列伝】の巻末の7期戦闘機名簿にお名前がありませんでしたが、卒アルの写真と照合してたぶん河野さんだろう、と。
台南空の行動調書も確認しました。




7期の予科練時代の集合写真を見ていたら、予科練時代に善行章をつけている人がいるので(予科練時代に善行章はつかない)、もしかしたら、上のクラスから次期回しになった人がいるのかもしれません。
9期ですら氏名がわかるまで時間がかかったので、7期の「7期以外の人」はいつわかることやら・・・・。
戦闘機集合写真の不明の人ももしかしたらそういう人かも知れません。
不明①さん、②さんともに6期飛練操縦の集合写真も探してみたのですが、現時点ではちょっと見つけられません。お二人とも、いまだ不明。


今日は集合写真の紹介にとどめましたが、本当はもっとちゃんと書きたいです。
時間ができたら書きます。


※画像は7期生ご遺族、谷水竹雄さんご家族、武田信行氏ご提供

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