史跡 唐古・鍵遺跡 ― 2018年06月02日 09時42分49秒
田原本町、下を向いて歩いてもおもしろいです。



夢中になりすぎて、事故を起こさないよう、気をつけて探しましょう。
唐古・鍵ミュージアムから、唐古・鍵遺跡に移動しました。
どれぐらいでしょうか、1.5キロぐらい北に行ったところです。
途中、道路にこんな表示も。

この数字がだんだん減って行くのを見ながら歩いていく楽しみもあったのかな?
ここで右折をためらい(地元民の路地みたいな道に見え、行き止まりなんじゃないかと疑った)、わたしが見た表示はこれが最後でした。曲らず真直ぐ突き進み、このあと1キロ余、国道24号線沿いをダラダラ歩いていきました。24号線を北上したら迷わずに遺跡に行けることはわかっていました。

おお! 到着!
弥生環濠ファンの聖地(わたし認定)、唐古・鍵遺跡!
ミュージアムより、こっちのリニューアル感の方がすごかったです。
以前はここ、池の横に望楼が立っていただけで、あとは駐車場ぐらいしかなかったんですよ。
ちなみに2011年↓


いま↓

すっごい整備され、公園化されていました。


唐古・鍵遺跡が国史跡に指定されたのが1999年、文部省が文部科学省になったのが2001年ということで、この碑は文部省の名前が入っています。

復元環濠。

遺構の屋内展示室もありました。

プランターケースも弥生風(笑)
しかし、わたしは史跡公園は素通り(笑)

道路を挟んで斜め向かいに出来ていた道の駅・レスティ唐古・鍵。
最近できたんです。
行かねば!
と思っていました。
1階の店舗(おみやげ、地元野菜など)は素通り。
目的地は2階のカフェ!
「唐古の道の駅だぜ。きっと弥生ソフトや環濠ソフトがあるに違いない!」
ありませんでした・・・・( ;∀;)
しかたがないので、アスカルビーのミックスソフトで勘弁してやりました!ヽ(^。^)ノ

形が悪くてちょっとがっかりだったんですが、実はずっしり重くて(けっこう量はあった)、苺の味が濃くって、おいしかったです!
3階が展望台になっているというので、ちょっと上ってみました。
西側。

唐古のあたりからみる二上山って、ホント美しいです。
弥生人も見ていたに違いない。
二上山の姿にうっとり感動したあとで、東側の唐古・鍵遺跡側に移動。
「なんすか、これはっ!?Σ(|||▽||| )」

目の前電線だらけ。
しかも望楼のあたりにはご丁寧に電線に黄色いカバー付きで目隠し!Σ(|||▽||| )
上の方に、交差点から撮った道の駅の建物の写真を出しているでしょう?
遺跡側から見ても、たしかに「展望台」部分に電線がかかっています(笑)
この道の駅に、望楼の機能はないものと認定いたしました(;´Д`)
そういえば、以前、唐古・鍵ミュージアムにあった復元銅鐸。
2010年↓ そとからゴンゴン叩く春海。


今回、ミュージアムになかったので、どうしたのかと思っていたら・・・・

道の駅に移動していました。

これって、言っちゃなんだけど、桜ケ丘銅鐸だよね(^^;)
せっかく来たので、また公園に戻り、ちょっと見学してきました。

屋内遺構展示室。


柱穴に柱が残っています。
唐古は木製品、いい状態で残っていますよね。


これ↓2011年。


比べると、望楼もリニューアルしているようですね。
2011年の春海@唐古・鍵遺跡。右側に池と望楼があります。


このころはまだかわいくて、細かったです。
春海もリニューアルしちゃって、いまじゃ・・・・。

制服のスカート、閉まらんとか!(爆)
帰る前にもう一度道の駅に寄って買い物をして、田原本駅には戻らず近鉄石見駅に。
昨日は、近鉄田原本駅→アルコカフェ→唐古・鍵ミュージアム→史跡唐古・鍵遺跡(通り抜け)→道の駅(ソフトクリーム)→史跡唐古・鍵遺跡(見学)→道の駅(買い物)→近鉄石見駅。こんな感じで。
道の駅での買い物は、

プリン。
あと、奈良交通の持ち帰り冷凍餃子。極みって書いてありました。
さっそく昨日の晩ごはんに。

肉がしっかり詰まっていて、にんにくも効いていておいしかったです。
皮も、焼いた部分はパリパリ、蒸した部分はもちもち。好きなタイプの餃子でした。
これと似たの、どっかで食べた記憶があるんですが、どうしても思い出せません。
プリンはまだ食べていませーん、今日のおやつかな(´▽`)
F15 ― 2018年06月02日 15時05分55秒
さっき、春海と録画しておいた刑事ドラマを見ていました。
すると突然・・・・ホント突然なんです、スゴイ爆音が。
ゴオオオオオーって。
「戦闘機の音や!」
外に飛び出しました。
すんごい音だったんですが、姿は見えず。
うちの上空、けっこう飛行機が通ります。民間の旅客機です。
それとはまったく音が違っていました。
「なんや、なんや!?」
すぐにスマホで検索しました。
今日、奈良基地祭の展示飛行をやっているそうで。
F15戦闘機1機。
わたしたちが外に飛び出したのがちょうど1415でした。
サイトによると展示飛行の時間が1410-1420予定。
まさにこの時間!
奈良基地上空を2回旋回するって書いてありました。
わたしが音に気付いたのは1回です。
くっーーーー(>_<)、見逃したっ!
知らんかったぞー、刑事ドラマなんか見ている場合じゃなかった!
乙9期 本城秋生さん ― 2018年06月02日 16時37分21秒
大分出身、水上機偵察。
本城さんはわたしは氏名入り班写真が出てくるまでわかっていませんでした。

この人でした。
1学年時1班。
なぜ、特定が遅れたか。
1学年時13班の阿部健さんが「入隊時同班の伍長だった」と書かれていたので。
「13班のあのメンバーの中に本城さんがおるんか?」
と。
結局阿部さんの記憶違いなのか、同期生会誌印刷時の誤植なのかわかりませんが。
本城さんは1班でした。

1班。


辻堂演習1班の一部(と8期生)。

本城さんが写っている写真で、めっちゃ好きなの↓


土浦海軍航空隊のペンネントなので15年11月の後半です。予科練卒業間際。
小船井写真館のお嬢さんを中心に、操偵まじった9期生たち。
この写真、めっちゃ好きです。
島田清守さんのところに、本城さんの個人写真がありました。

これ、掲示板にもアップされていましたよね。
操偵検査時の本城秋生さん。

これはペンネントが大日本帝国海軍、善行章がついていて、階級は1等兵。
うらに「延長教育当時」と書かれていたので博多時代の8月9月初ぐらい?
写真館の刻印もないのでどこで撮られたのかはわかりません。

博多飛練卒業。
おもいで
「江副教員からよく可愛がられていた。かげにかくれてよい事もやっていた。ショートランド基地で目と鼻のところにいたが遂に語りあえず残念だったぞ」
「入隊時同班の伍長だった君に同県人として大いに意を強くした」
「秀才、でも少しさぼったか、いつも余裕のある生活態度はやはり優等生であったネ。中庸を行く、孔子の言がぴったりする「徳」を持っていた君。偵察専修になって同班だった」
「酒保代が俸給より多くそれ以上食えぬので勝手に俺の帳面で食っていたっけ。文句を言ったらしるこ札二枚返したね。どれ位食はれたか知れないよ。随分酒保代が多かった。入隊時同班、皆のいやがる作業員は何時も俺を指名し重宝されたっけ」
17年12月3日 千歳 ニュージョージア島
※画像は9期生ご遺族ご提供