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愛知県出身8期生2018年04月21日 15時53分10秒

同じく山口良一さんのアルバムに貼ってあった写真。


愛知県出身7期生と8期生集合写真。
時期は不明ですが先日の7~9期写真より古いものです。背後に日の丸が写っているので祝日のようです。
写っている予科練生たちは、つけている階級章が3等航空兵と2等航空兵です。
ということは、8期が3空時代、7期が2空時代の撮影でしょう。
それに該当する時期は12年9月1日~13年7月31日です。一種軍装の時期なので12年9月~13年6月初ぐらいの感じでしょうか。その中の祝日ってぐらいまでしか絞れません。

階級章と顏でわけたところ、愛知県、8期8名、7期5名で間違いないでしょう。
写っているメンバーの顔触れも先日の写真と同じです。
赤丸7期生、黄丸8期生。

前列左から
8期生

7期大橋真市さん

8期生

8期生

8期犬塚教市さん

中列左から
8期生

7期山口良一さん

8期生

後列左から
7期山口茂太郎さん

7期鈴木文雄さん

7期市野申平さん

8期生

8期生


あ、どうして8期生の中で犬塚さんだけ名前を特定しているのかというと・・・・。
  ↓

  ↓
9期生がアルバムに貼っていた複数の写真に、名前をつけた状態で写っていたからです。



9期生のアルバムに写真が残っていた人が他にもいました。
中列の左端の人、なんか見たことあるなあ、と思っていたのですが、探したらありました。
藤原国雄さんの辻堂演習時の班(8・9期混合)集合写真に写っていました。

この人ですよね。
でも、お名前はわからんです、残念。



もう一度8期生のお名前、あげておきますね。

阿部一男さん 
犬塚教市さん
大野金三さん 
河野鍖三さん
北村冨佐士さん 
※(北村さんは予科練外史「富佐二」、同期生会誌「富士男」)
小出重雄さん 
牧野正行さん
山田美好さん



この中で、戦死された方に関しては同期生会誌で人柄について触れられています。
※基本的に原文ママ。小出さんだけ一部編集

阿部一男さん
「実直で悠長な所があつた。貴様も通信が余りパッとせず、荒井教員から誤字脱字多発者の一人としてリストにのりオヒツプをさすられていたが気立の優しい貴様が可愛想で見るに忍びなかった 麦飯の杯を重ねて行くに従つて要領良くなる者、教員のお汁が不潔であつては申訳ないと昇汞水をお混ぜして配食し奉つりオヒツプをさすられた返礼をする者等豹変するのが常であつたが貴様は終始一貫練習生の本分を全うした」

犬塚教市さん
「貴様は仏像の様に慈悲深い細い眼をし温情を以つて下級生にのぞみ実に同期の模範生だつた。第三神風特別攻撃隊春日隊としてレイテ島攻撃に散かした貴様が女学生の如く素直で温順だつただけに八期のトップを切つて特攻隊員として護国の鬼と化した事に感泣する」

大野金三さん
「色浅黒く笑うと真白な歯が美しかつた。九九艦爆で同期長谷川進と横浜上空で自爆とは誠に残念至極」
「予科練では同班でハンモックは隣同志、水泳は仲良く赤帽組、最初カッターから二人投込まれた時、貴様は俺の首に必死でしがみ付いて離れず一緒にブクブク沈んだがあの時は此の世ともおさらばと思つた」

小出重雄さん
「温習時間は俺に幾何や英語を教えてくれた。予科練時代君のお父さんがセーラー服のお嬢さんを連れて面会に来た。(略)」
「豆タンクの異名頂戴、予科練後期俺の班の伍長、皆の無理を良く聞いて纏め役を買つていた」

北村冨佐士さん(富佐二? 富士男?)
「他人の不幸を吾が事の如く案じて呉れる親切な奴で紅顔の偉丈夫」
「貴様とは佐伯空、翔鶴共に戦い共に遊び仲良く盲腸に罹り入院した事もあつたな、想い出は尽きない 別府市御多福の件とヘボ碁で公認四級のお婆さんに挑戦したものゝ見事に敗れた事、佐伯空水泳競技で活躍した事等々懐かしい」


おそろしいことを書いている人がいますが。
荒井教員、その他の8期教員方に健康被害がなかったことを祈るばかりです。
あ、検索するなら「しょうこうすい」です。


『予科練外史』に北村さんのエピソードが載っていました。
後藤元さん(戦闘機、16年12月8日 真珠湾)と湖南堂のエピソードに登場していました。「自分」は後藤さんです。

『自分は外出すると、必ず餅を食って帰る。(中略)その日、湖南堂に行くと、北村が来て、これも相変わらず餅を食っている。自分は上級生に気兼ねをしながら餅を頼んだ。うどんも注文した。空いた腹には少しも手ごたえがない。も一つ餅を食いたい。「金があったかな?」と財布を調べると金九銭也が淋しく残って赤い顔をして自分を嘲っているようだ。「止めて帰ろうか?」然しまだ未練がある。「あと一銭あったらなあ。」遂に大決心をして前の北村に頼んだ。
「おい、一銭願います。」
北村はにやりと笑って、
「足りないのか。」
とすぐ出してくれた。自分はこれだけのことを言うのに大変苦労した。言ってしまってほっとした。これでやっと腹の虫がおさまる。もう思い残すことはない。ハトロン紙に包んで貰って一路隊門へ向かった』

倉町先生はこの文章に注釈をつけています。
「彼に一銭銅貨を貸した北村。北村姓は同期に三人いた。一雄は岐阜、富佐二は愛知、利秋は広島の出身。
(中略  三人の人柄紹介)
三者いずれとも決めにくいが、強いて言えば、入隊の時、愛知の北村練習生は同じ三組で、班も同じ十班であったから、その可能性が一番強いように思われる」


8期生のお顔がほとんどわからないのが残念です。
8期生も9期の写真にたくさん写っているので、どれがだれさんか、ちゃんとわかるといいのですが・・・・。

いま8期生が、わたしが9期生に取りかかり始めたときと同じような状態になっています。
・氏名、出身県はある程度わかる(中には、資料によって違うことが書いてある人がいる)
・戦没者の人柄が書かれた同期生会誌はある
・操偵、機種が不明(一部判明)
・写真は多少ある(県別集合写真や辻堂演習写真。ほとんどどなたかわからない)


※画像は7期生、9期生ご遺族ご提供