9期生の軍服 ― 2018年03月27日 08時13分17秒
下士官兵の軍服は貸与品です。
戦死した場合や、兵役免除になった場合、終戦で不必要になった場合は、原則は返納です。
しかし、准士官(兵曹長)以上は軍服は個人の持ち物で、自分でお金を出して作らなければならず、戦死した場合は遺品として戻ってきているはずです(戻っていない人も多い)。
また終戦で海軍を辞めたあとは自分のものなので、持ち帰れたはずです。
現に、昭和18年6月16日のルンガ沖航空戦で、飛行兵曹長(飛曹長)で戦死した乙6期の中西義男さんの弟さんは、
「遺品として戻ってきた兄貴の軍服(一種の上着)を、戦後は自分が仕立て直して着ていた」
と言われていました。
わたしが直接モノを尋ねられる人で、4等兵から上がった人の最高位の人は少尉さんまでなった人ですが、その人に飛曹長になったときの軍服交換のことも聞いています。
自分の鎮守府のある町でちゃんと採寸して作ったようなことを言われていました。
軍服を作るための手当てが出たと言われていたような・・・・?
スイマセン、探せばあるのですが、すぐに出てこないのでわたしのアヤシイ記憶で書いています。
9期生のほとんどは下士官で戦死しています。
つまり、「9期生が着ていた軍服」はほとんどが軍に返納された、ということです。
ただ、上にも書いたように、飛曹長まで進んだ人は軍服を残している可能性があります。
人数は少ないですが。
どなたにその可能性があるのか。
飛曹長進級時点(20年5月1日)で、確実に軍籍にあった、と今日時点でわたしが把握できているのは次の方々です。
高坂浪次さん
山口浜茂さん(20年5月11日戦死)
藤代護さん
大石芳男さん(20年5月4日戦死)
杉本栄さん
亀山一郎さん
佐々木隆寿さん(20年8月14日戦死)
三浦光雄さん
西本宗方さん
上原定夫さん
松本佐市さん
井上三千人さん(20年5月30日戦死)
隅倉慧さん
山下栄松さん
山村喜郎さん
遠藤秋章さん(20年8月15日戦死)
坂田清一さん(20年7月26日戦死)
石塚猛さん
あと、わたしが飛曹長進級を把握できていないだけで、可能性のある人。
田中茂雄さん、綿村亀次さん、河村徳市さん、石田勝さん、竹田俊司さん、下釜又男さん、森健次さん、阿部健市さん、斎藤理吉さん
入隊したときには199名いたんですけどね。
20年5月1日に飛曹長に進級できた人たちは上記の人たちだけです。少ないです。
ここに名前のない人たちは戦死、兵役免除、進級遅れ、などです。
わたしが見たことがある9期生の飛曹長時代の写真は、
・亀山一郎さんの手記に掲載されていた飛曹長時代の1種軍装写真(任官記念か?)
・書籍掲載の遠藤秋章さんの20年8月15日、出撃時の写真(飛行服、お顔はわからない)
・隅倉慧さん
戦死した場合や、兵役免除になった場合、終戦で不必要になった場合は、原則は返納です。
しかし、准士官(兵曹長)以上は軍服は個人の持ち物で、自分でお金を出して作らなければならず、戦死した場合は遺品として戻ってきているはずです(戻っていない人も多い)。
また終戦で海軍を辞めたあとは自分のものなので、持ち帰れたはずです。
現に、昭和18年6月16日のルンガ沖航空戦で、飛行兵曹長(飛曹長)で戦死した乙6期の中西義男さんの弟さんは、
「遺品として戻ってきた兄貴の軍服(一種の上着)を、戦後は自分が仕立て直して着ていた」
と言われていました。
わたしが直接モノを尋ねられる人で、4等兵から上がった人の最高位の人は少尉さんまでなった人ですが、その人に飛曹長になったときの軍服交換のことも聞いています。
自分の鎮守府のある町でちゃんと採寸して作ったようなことを言われていました。
軍服を作るための手当てが出たと言われていたような・・・・?
スイマセン、探せばあるのですが、すぐに出てこないのでわたしのアヤシイ記憶で書いています。
9期生のほとんどは下士官で戦死しています。
つまり、「9期生が着ていた軍服」はほとんどが軍に返納された、ということです。
ただ、上にも書いたように、飛曹長まで進んだ人は軍服を残している可能性があります。
人数は少ないですが。
どなたにその可能性があるのか。
飛曹長進級時点(20年5月1日)で、確実に軍籍にあった、と今日時点でわたしが把握できているのは次の方々です。
高坂浪次さん
山口浜茂さん(20年5月11日戦死)
藤代護さん
大石芳男さん(20年5月4日戦死)
杉本栄さん
亀山一郎さん
佐々木隆寿さん(20年8月14日戦死)
三浦光雄さん
西本宗方さん
上原定夫さん
松本佐市さん
井上三千人さん(20年5月30日戦死)
隅倉慧さん
山下栄松さん
山村喜郎さん
遠藤秋章さん(20年8月15日戦死)
坂田清一さん(20年7月26日戦死)
石塚猛さん
あと、わたしが飛曹長進級を把握できていないだけで、可能性のある人。
田中茂雄さん、綿村亀次さん、河村徳市さん、石田勝さん、竹田俊司さん、下釜又男さん、森健次さん、阿部健市さん、斎藤理吉さん
入隊したときには199名いたんですけどね。
20年5月1日に飛曹長に進級できた人たちは上記の人たちだけです。少ないです。
ここに名前のない人たちは戦死、兵役免除、進級遅れ、などです。
わたしが見たことがある9期生の飛曹長時代の写真は、
・亀山一郎さんの手記に掲載されていた飛曹長時代の1種軍装写真(任官記念か?)
・書籍掲載の遠藤秋章さんの20年8月15日、出撃時の写真(飛行服、お顔はわからない)
・隅倉慧さん

今回、初めて9期生が実際に着用していた軍服の写真を見せていただくことができました。
「軍服が残っていました」
と、ご命日に写真を送ってきてくださいました。

飛曹長時代の2種軍装ですね。
肩に階級章をとめる部分がついています。准士官以上はここに階級章がつきます。
肩に階級章をとめる部分がついています。准士官以上はここに階級章がつきます。

階級章そのものは見当たらなかったそうです。
↓知らないヒトですが、参考に登場してもらいました。こんな感じ。
↓知らないヒトですが、参考に登場してもらいました。こんな感じ。

西澤さんの伊勢艦務実習時の幹部の方です。
たぶん伊勢の人。
この人が肩につけているのが士官二種軍装の階級章です。
現物は見たことがないですが、写真で見ると裏にピンみたいなのがついていて、軍服の肩のベルト通しみたいな部分に通すのではないかと・・・・?
たぶん伊勢の人。
この人が肩につけているのが士官二種軍装の階級章です。
現物は見たことがないですが、写真で見ると裏にピンみたいなのがついていて、軍服の肩のベルト通しみたいな部分に通すのではないかと・・・・?
上に書いたような事情ですので、まさか9期生の軍服が残っているとも思っておらず、ましてやそれを目にすることができるとも思っていませんでした。
本当に貴重なものです。
どう表現してよいかわかりません、感激というか、感無量というか。
9期生が兵曹長に進級したのは終戦の3か月前なので、もしかしたら2種は作っていない人もいるのではないか、と勝手に思っていました。
そのころの写真を見ても、飛行服以外のときは1種や2種でなく、3種(草色の)が目に着いていたので。
この写真を見て、ちゃんと作っていたんだ、という驚きもありました。
ありがとうございました。
※画像は9期生ご家族ご提供
さくら2018 ― 2018年03月27日 20時52分28秒
昨日アップした桜の写真はいわば番外編といったところで(^^;)
本編はこっちです。
春海は今日は久しぶりのオフでした。
「一緒に桜を見に行こうや~(´▽`)」
「中学の部活に行く」
「はあ!?( ゚Д゚)」
中学時代の水泳部の友だち2人(DK)と一緒に、中学の部活に行ってしまいました。
8時20分集合で!(・∀・)
陸トレしてきたそうです!(アホ)
しかたないので、一人で行きました。
特に説明はありません。
撮ってきた写真を貼って行きますね。
本編はこっちです。
春海は今日は久しぶりのオフでした。
「一緒に桜を見に行こうや~(´▽`)」
「中学の部活に行く」
「はあ!?( ゚Д゚)」
中学時代の水泳部の友だち2人(DK)と一緒に、中学の部活に行ってしまいました。
8時20分集合で!(・∀・)
陸トレしてきたそうです!(アホ)
しかたないので、一人で行きました。
特に説明はありません。
撮ってきた写真を貼って行きますね。













長野に行ってきた件を書きたいのですが。
もう少しお待ちください<(_ _)>