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乙2期 小山内末吉さん2017年10月05日 14時22分21秒

先日ちょっと触れた小山内末吉さん。

9期が操偵検査に行ったときの筑波空百里分遣隊の先任教員です。



操偵検査最終日の6月10日の日記をこんな状態で撮り損ねてしまったのは、

挟んであったメモに気を取られたためです。 ←言い訳



ここに何が書いてあったかというと――。

先任教員(小山内一空曹)ノ話
夜温習ノ際来テ飛行機ニ関シテ質問シ其レガ終ッテ予科練出身ハ矢張「純真」ト言フ所ガヨイノデアル。私ハ二期生ダ。予科練出身ハ矢張評判ガ良イノダ。ダカラ私等ノ後ヲ継グオ前達ガシッカリセントダメダ。或ル上層マデ来テ始メテ予科練トシテノヨイ所ガ見ラレルノデアル。ダカラ今ノ所大イニ勉強シテ立派ナ予科練ヲノバサナクテハナラナイ。特ニ私ハ此レヲ希望シテオク」ト!!矢張同ジ後輩ト思ヘバ其フイフノダ。先輩ノ心モ深ク察シタ、全ク真剣ノ色ガ見エテイル



7つ下の後輩ですからね。
まだ卵の殻をつけてヨタヨタしている感じ、まったく頼りないだろうけれど、それだけに昔の自分たちを見ているようでかわいかったでしょうね。

もっと勉強してしっかり俺たちについて来い、と。


海軍航空隊に興味を持ち始めたのが坂井三郎さん(操練出身)の『大空のサムライ』だったように記憶しているので、最初のころは感じませんでしたが、最近、9期のことをいろいろ見ていると、やはり予科練の上下のつながりって強いと思います。
特に乙飛同士だとなおさら。
というか、9期はしょっちゅう甲飛と仲良くしろと叱られている(^^;) ←予科練時代は犬猿の仲だった

ので、まあ、乙の先輩、後輩への思いはひとかたならぬものがあったと思います。






小山内末吉1空曹。
乙2期出身。樺太。
戦闘機。


原田要さんが記憶していて書いてくださっていた教員の中に小山内さんも含まれています。


教員集合写真では前列の真ん中。



これは23分隊集合写真の小山内教員。

こちらは24分隊集合写真から。



『日本海軍戦闘機隊』【戦歴と航空隊史話】の赤城戦闘機隊16年6月の集合写真にも小山内飛曹長が写っています。進藤三郎さんの右。
うん、小山内さんだ。

真珠湾攻撃時も赤城。




17年10月26日 南太平洋海戦 瑞鶴で戦死。




橿原神宮の瑞鶴の碑横の戦没者名録に小山内さんのお名前もあります。


※画像は9期生ご遺族ご提供

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