乙9期 立井義春さん ― 2017年08月11日 16時00分19秒
香川県出身、偵察、中攻。
高雄空、753空、横須賀空、702空。
【氏名入り班写真】

11班
【県別写真】

香川県出身者集合写真
【横須賀班写真】

11班
【辻堂演習】

宿舎写真
【操偵適性検査】

班集合写真

飛行場で待機中
【個人写真】

霞ヶ浦海軍航空隊、一等航空兵
おもいで
「香川県といえば四宮・藤井・桑島・斎藤と皆一癖も二癖もある中に君は異色ある異色なき存在だった」
「入隊時は十二班だったね。温厚、黙々と耐え抜いた月月火水、だのに君は何処か軽妙な味を持っていた」
「入隊時は十二班だったね。温厚、黙々と耐え抜いた月月火水、だのに君は何処か軽妙な味を持っていた」
※立井さんは11班。
【飛練鈴鹿】

奈良行軍、春日大社

運動会
【大型機】

木更津
立井さんは鈴鹿のあとの実用機飛練が宇佐です。
飛練10期の実用機、偵察の中攻・艦上機の一部の人と、操縦の艦爆・艦攻の人たちが宇佐なのですが、宇佐時代の写真は一枚もありません。
いや、あるのでしょうけど、わたしは目にしたことがありません。見たい、見たい・・・・。
艦爆操縦(のち戦闘機転科、台南空)の中野釥さんが宇佐時代、カメラに凝っていて撮りまくっていたようなので、きっと同期生を撮っているはず、と思うのですが、残念ながら・・・・。
18年11月8日 702空 ソロモン
いわゆる第二次ブーゲンビル島沖航空戦で戦死されたわけですが、このとき702空からは7機の中攻が出撃し、2機が未帰還になっています。
自爆した1機は指揮官機で、立井さんが偵察員。
行方不明の1機には9期の牛王正明さんが電信員として搭乗していました。

牛王正明さん
無事に帰って来た5機の内、指揮官機の2番機の主操はあの小林銀太郎さんでした。

島田清守さんと文通をしていた「まむしの銀太」さんです。
海軍は本当に狭いです。
※画像は9期生ご遺族ご提供
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