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乙9期 鈴木文亮さん2017年07月20日 17時06分35秒

軍帽を2つ合体させてコロコロ転がして遊んでいた鈴木文亮さん

「まさか、あの鈴木さんがっ!?w( ̄△ ̄;)w」

って感じではなく、

「あー、鈴木さんならやるかも(^^;)」

って感じですか。
※あくまで個人的イメージです



前にも書きましたが、現時点でわたしが把握している9期最年少の戦没者です。
16年12月19日に戦死されたとき、18歳と2ヶ月です。いまなら高校3年生ですよ・・・・。

9期の年齢制限は大正9年12年1日~12年11月30日生まれまで。
鈴木さんは大正12年の9月生まれなので、9期の中ではかなり若い方です。


入隊のころの写真とか、めっちゃかわいいです。
入隊時点でまだ14歳ですからね。



秋田県出身。
操縦、中攻。

「文亮」は「ふみよし」とお読みするのかも。「かも」です。
資料の信頼性に問題があるとかないとか・・・・。資料の方が間違っている人もいました(^^;)


【入隊前】

【氏名入り班写真】
11班。

【11班集合写真】
横須賀。

【辻堂演習】
宿舎の縁側で。

【操偵検査】

【予科練卒業】
雄飛の松とともに。


【飛練・谷田部】

【飛練・大分】

【大型機・木更津】





おもいで

『飛練で同じペアだった。卒業時彼は陸攻、俺は艦爆を志望した。石塚教員は戦闘機だったので二人とも散々絞られたが、志望通り君は陸攻に行った。思えば君を戦闘機にと教員は一生懸命だったのに』

『さっぱりしたいい男だった』






予科練卒業時の寄せ書き




16年12月19日  千歳空  ウェーキ島攻撃







鈴木さんは9期生で2人目の戦死者です。
最初の戦死者は開戦日に戦死した吉田俊光さん。
(16年12月8日、台湾から比島攻撃のための離陸時、搭乗機がパンク、炎上)

12月19日、この日の千歳空のウェーキ島攻撃隊27機は全機帰投しています。
全機帰投しているのですが、「戦死者1」と記載されています。
機上戦死です。
搭乗機は無事に基地に戻って来たけれど、副操席の鈴木さんは亡くなっていた、と。
行動調書には死因は書かれていません。
敵戦闘機と空戦をしたとか、高角砲火が熾烈だったとは書かれていますが、鈴木さんが空戦でやられたのか、対空砲火でやられたのかは書かれていないのでわかりません。


行動調書を見る限りでは、鈴木さんの亡骸は基地までは戻って来たんだな・・・・と。



鈴木さんは故郷に帰れたのだろうか――。
家族のもとに戻れたのだろうか――。




飛行機乗りは亡骸が戻らないことがほとんどです。
わたしもいままで何人かお墓参りをさせていただいていますが、
「遺骨が入っていますよ」
と言われたお墓はお一人だけでした(甲2・西開地重徳さん)。

人によっては戦死状況すらわからないことも。
「帰って来ないから戦死」
ということはめずらしいことではありません。



そんな中、9期生にも、比較的戦死状況がわかっている方が数名おられます。
ただ、亡骸が基地までは戻れていたとしても、そこからご実家のある故郷まで戻っているかどうかは把握していません。


機会があればそのことに関して書くこともあるかもしれません。




※画像は9期生ご遺族ご提供

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