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飛練10期操縦専修 谷田部 松本勝正さんのペア写真2017年04月11日 09時06分16秒

松本さんの写真、全部見ていないことはわかっていました。

書簡集には、わたしが見ていない写真も掲載されていたので。




先日、松本さんのアルバムの中に、書簡集にも掲載されておらず、わたしもいままで見たことがなかった――という写真をたくさん発見しました。


そのうちの1枚。
飛練10期の中間練習機教程、谷田部海軍航空隊時代(15年12月~16年5月)の松本さんのペア写真です。
イスに座るのは1空曹の教員。
後ろ左から松本勝正さん、村田耕一さん、久米武男さんです。


松本さんはこのあと攻撃機に進み中攻→戦闘機と転科。
台南空、6空を経て教員(筑波、厚木)が長く続き、19年春に203空戦闘303。
19年10月26日、セブから輸送機に便乗しマバラカットに戻る途中、敵戦闘機に襲われ戦死。7期の先輩、西澤廣義飛曹長も同じ便で戦死。


村田さんは攻撃機→中攻→艦爆。
17年2月19日、最初の配属先・35空で、基地移動中に悪天候のため台湾新竹付近で山に激突し殉職。そのとき後席に乗せていたのは西岡左運35空司令。


久米さんはこのあと大分で戦闘機専修、そのまま戦闘機乗りに。
台南空に配属されていましたが、いつの間にやら行動調書からお名前が消え・・・・。台南空時代に何かあったのか、内地に戻って教員をされていたようです。
19年4月5日、三亜空、南寧攻撃で戦死。同僚だった吉田一平さんの手記には「1飛曹」と書かれてあって、ずっと勘違いでは?という疑惑も持っていたのですが、本当に戦死時1飛曹でした(9期は本来ならこの時期は上飛曹)。


※画像は9期生ご遺族ご提供