島田清守さんとお兄さん ― 2017年03月25日 00時00分15秒
21日、島田さんのご実家を再訪しました。
イッチ(仮名)の休日を一日つぶしてしまって大変申し訳なく思っています。
・・・・・思っていますが・・・・行ってよかったです。
ご実家にうかがう前に、前回と同じく、腹ごしらえ。
それは前に書いたとおりです(^^;)
そのとき、イッチといろいろ話したのですが・・・・。
あれだけの遺品が残っているなら、他に”あってもいいはずのもの”がある――という話をしました。
あくまで、わたしが”あってもいい”と思ったものです。
・勲章類。
・13年、16年1月~10月、17年の日記。
まあ、こういうものですよね。
練習生時代の教科のプリントすら残してあるのに、箱入りで金属製の勲章類が見当たらなかったのがとても不思議でした。
支那事変従軍記章や金鵄勲章など。
日記も。14年、15年の予科練時代のものが残っているのだから、13年の、少なくとも予科練入隊後のものはあったのではないか?
島田さんは日記をつける習慣がついていたようなので(日記だけではなく、基本的にマメな人だったようです)、16年の飛練時代の日記や17年の瑞鳳時代の日記も、誰に強制されるでもなく書いていただろうと思うんですよね・・・・。
どうしてないんだろうね?
という話を食後にしていました。
あと、遺品目録に書かれていたものも、あってもおかしくないですよね。見た感じ、あのリストに書かれた分、全部はなかったように思いました。
ご実家にうかがってさっそくスキャン。前回できなかったものを。
わたしがスキャンしている間に、イッチが”ありそうな場所”を探してくれました。
なかなか見つからなかったんですけどね。
「これって・・・・?」
と、イッチが隣の部屋から小箱を4つ持ってきました。
「あ、たぶん、これだ」
箱の蓋には特徴のある書体で名称が書かれていました。
勲七等青色桐葉章、勲八等白色桐葉章、功六級金鵄勲章、功七級金鵄勲章。
すぐに、陸軍で戦死されたお兄さんの六平さんと、清守さんのものだとわかりました。
※イッチのおじいさんも従軍経験があるそうですが、無事に復員。
以前、Kさんから「生きて金鵄勲章をもらった人」の話を聞いたことがありました。
かなり古い人たちの中にはもらった人もいるそうです(ちゃんと聞いたのですが、わたしの記憶が間違っていたらいけないので大雑把に書いています)。
イッチのおじいさんの年齢から想像して、おじいさんが金鵄勲章をもらっている可能性は0です。
わたしは六平さんのことはわかりませんが、清守さんのことならある程度わかります。
イッチにはその場で、
「この二つが清守さんの分」
と伝えました。
イッチ(仮名)の休日を一日つぶしてしまって大変申し訳なく思っています。
・・・・・思っていますが・・・・行ってよかったです。
ご実家にうかがう前に、前回と同じく、腹ごしらえ。
それは前に書いたとおりです(^^;)
そのとき、イッチといろいろ話したのですが・・・・。
あれだけの遺品が残っているなら、他に”あってもいいはずのもの”がある――という話をしました。
あくまで、わたしが”あってもいい”と思ったものです。
・勲章類。
・13年、16年1月~10月、17年の日記。
まあ、こういうものですよね。
練習生時代の教科のプリントすら残してあるのに、箱入りで金属製の勲章類が見当たらなかったのがとても不思議でした。
支那事変従軍記章や金鵄勲章など。
日記も。14年、15年の予科練時代のものが残っているのだから、13年の、少なくとも予科練入隊後のものはあったのではないか?
島田さんは日記をつける習慣がついていたようなので(日記だけではなく、基本的にマメな人だったようです)、16年の飛練時代の日記や17年の瑞鳳時代の日記も、誰に強制されるでもなく書いていただろうと思うんですよね・・・・。
どうしてないんだろうね?
という話を食後にしていました。
あと、遺品目録に書かれていたものも、あってもおかしくないですよね。見た感じ、あのリストに書かれた分、全部はなかったように思いました。
ご実家にうかがってさっそくスキャン。前回できなかったものを。
わたしがスキャンしている間に、イッチが”ありそうな場所”を探してくれました。
なかなか見つからなかったんですけどね。
「これって・・・・?」
と、イッチが隣の部屋から小箱を4つ持ってきました。
「あ、たぶん、これだ」
箱の蓋には特徴のある書体で名称が書かれていました。
勲七等青色桐葉章、勲八等白色桐葉章、功六級金鵄勲章、功七級金鵄勲章。
すぐに、陸軍で戦死されたお兄さんの六平さんと、清守さんのものだとわかりました。
※イッチのおじいさんも従軍経験があるそうですが、無事に復員。
以前、Kさんから「生きて金鵄勲章をもらった人」の話を聞いたことがありました。
かなり古い人たちの中にはもらった人もいるそうです(ちゃんと聞いたのですが、わたしの記憶が間違っていたらいけないので大雑把に書いています)。
イッチのおじいさんの年齢から想像して、おじいさんが金鵄勲章をもらっている可能性は0です。
わたしは六平さんのことはわかりませんが、清守さんのことならある程度わかります。
イッチにはその場で、
「この二つが清守さんの分」
と伝えました。

勲七等青色桐葉章
功六級金鵄勲章
、
で、あとの二つが六平さんの分、ということになります。
勲八等白色桐葉章

、
で、あとの二つが六平さんの分、ということになります。


功七級金鵄勲章
等級が違うでしょう?
これは、戦死したときの階級が関係しているのだと思います。
清守さんは戦死したとき3飛曹(下士官の一番下)。
六平さんの方はわたしは知りませんが、清守さんの日記を読むと、清守さんより後で陸軍に入って、かなり早い時期に戦死されているのではないかと。
わたしは陸軍のことはよくわかりません。どれほどの入隊ルートがあるのか(例えば海軍であれば、海兵団とか予科練とか海軍兵学校とか何通りかあるわけですが)。
六平さんがふつうに(?)兵の一番下から入ったとしたら、戦死されたときはまだ兵階級だったのでは・・・・と思いました。
となると、上の勲章も矛盾はありません。
「功何とか勲何とか、お墓の碑文に書いていなかったですか?」
「書いてありました!」
「じゃあ、雨が止んだら見に行きましょう」
ということで、帰りにお墓に寄ってもらいました。六平さんの碑文にちゃんと「勲八等功七級」と刻んでありました。
これらの勲章がどこにあったのかもイッチに聞きました。
遺品箱とは別に、おばあちゃんの手元で大事にとっておられたのだな、と思いました。

清守さんのお兄さんですが、写真を見たら童顔でかわいい感じの人でした。
前回は、肖像画だけ見たので、いまいち六平さんをつかめていませんでした。
今回は行ってすぐに、
「六平さんの写真ってないんですか?」
と尋ねたら、これを出してくれたので真っ先にスキャンさせてもらいました。
今回の訪問は、六平さんのことがちょっとわかりました。
小学校時代の成績表も見せてもらいました。
成績表といえば清守さんの小学校時代の成績表も出て来たらしく(今回はわたしは見ていない)。
すっごく優秀やったみたいですが、苦手なもんがあったとか(^^;)
「完璧!!」もかっこいいけど、そういうのも人間味があっていいですよ。
日記の方は結局見つかりませんでした。
衝撃の事実発覚!ΣΣ( ̄◇ ̄;) ― 2017年03月25日 20時00分33秒
春海の学校は給食でしたが、最初の一年だけ、お弁当でした。
何回か作ったんですけどね。
春海が、
「パンがいい」
というので、途中で菓子パンにシフトしました。
昨日まで、
「春海はパンが好きなんだろう」
と思っていました。
昨日、その話になったんですよ。
春海から衝撃発言がありました。
「ママのお弁当を食べると、そのあとで必ずおなかこわしたんだよねー(=_=)」
何回か作ったんですけどね。
春海が、
「パンがいい」
というので、途中で菓子パンにシフトしました。
昨日まで、
「春海はパンが好きなんだろう」
と思っていました。
昨日、その話になったんですよ。
春海から衝撃発言がありました。
「ママのお弁当を食べると、そのあとで必ずおなかこわしたんだよねー(=_=)」
そんな事情で、「パンがいい」って言っていたらしいですわ。
わたしは自分で作ったものを食べていますが、大丈夫ですよ?(´・ω・`)
わたしは自分で作ったものを食べていますが、大丈夫ですよ?(´・ω・`)