宇佐航空隊の世界 ― 2017年02月18日 20時16分34秒
今日は宇佐の人と零戦Tシャツ屋さんと会っていました。

会談内容はヒミツです。
以前から「読みたい」と思っていた『宇佐航空隊の世界』シリーズ、入手いたしました。
以前から「読みたい」と思っていた『宇佐航空隊の世界』シリーズ、入手いたしました。

受けとったときに、目次をまず確認。
Ⅰの目次、7期の松浪清さんや8期の賀来準吾さんの手記に並んで、ある手記に目が留まりました。「柳ヶ浦駅に電灯がついた・・・・賀川光夫」。
「んー? なんか知っているぞ、この人。誰だっけ? 予科練の人か? いや、違うな・・・・どこで見たんだっけか?」
帰りの電車の中で、どうしても気になったので、本文を読んでみようとリュックから取り出しました。
そのとき、
「あっ! あの賀川光夫さんだ!!」
やっとわかりました。
考古学者です。
別府大学の名誉教授をされていたのか・・・・。
わたしたちが習った高校日本史に出ていた「聖嶽洞窟」、この発掘に関わった人だったんですね。それはあの事件まで知りませんでした。
「あの事件」というのは――
2001年、賀川さんはある報道に対して抗議の自殺をされたんです。
検索したら出てくると思います。
当時わたしは考古学から遠ざかっていたので、事件のことは当時ニュースで知りましたが、それ以上のことは知りませんでした。
最近になって、その後のことが書かれた記事に触れる機会があって、いろいろと思うところがあったばかりでした。
賀川さん、学徒出陣で海軍に入り、艦攻の偵察員になられたそうです。
宇佐の931空に配属され、終戦直前には、原爆が落とされた直後の広島の偵察飛行任務につき、その惨状をカメラに収めたのだとか。
終戦は宇佐で迎えられたそうです。
そういうことを回想されていました。
あの世代の先生には従軍経験のある人がいるみたいですね。
古代史のすごい先生も、ウィキペディアによると海軍航空隊にいたとか?
『宇佐航空隊の世界』、賀川さんの手記以外にも興味深い手記や読み物がたくさんです。パラパラ見たところ、マンガや料亭なるみの色紙画像もありました。
ゆっくり読ませていただきます。ありがとうございます。
あ、残部、あるそうです。
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