愛媛 日曜日 ― 2016年12月20日 19時17分09秒
遅くなりました、ご報告です。
11日は乙18の彩雲電信員さんと、大分のガンカメラ映像研究家の若い人と10期の久保さんちに遊びに行ってきました。
11日は乙18の彩雲電信員さんと、大分のガンカメラ映像研究家の若い人と10期の久保さんちに遊びに行ってきました。
あ、遊びに行ったのはわたしだけです。
電信員さんは乙飛の大先輩の表敬訪問。
ガンカメラ映像研究家さんは取材です。
船の時間も無駄にしません。
彩雲電信員さんに熱心に聞き取りされていました。
便乗して一緒に話を聞くわたし(^^;)
向こうに着いたら、久保さんの奥さんが迎えに来てくれていました。
1年半ぶり3回目!(´▽`*)
宮崎より帰っているとか、ここだけのヒミツ(笑)
久保さんちの近所は今年もミカンが鈴なり♪
便乗して一緒に話を聞くわたし(^^;)
向こうに着いたら、久保さんの奥さんが迎えに来てくれていました。
1年半ぶり3回目!(´▽`*)
宮崎より帰っているとか、ここだけのヒミツ(笑)
久保さんちの近所は今年もミカンが鈴なり♪
ご自宅の前で久保さんとお嫁さんが出迎えてくださいました。
昼食をご馳走になりながら、電信員さんの話、研究家さんの取材・・・・。
ガンカメラ映像研究家さんが宇佐空の教員のことを質問したとき、
「自分は清水教員に操縦を習った」
と久保さんがおっしゃったので、
「どの人が清水さんですか!?」
とすかさず乱入! ※ガンカメラ映像研究家さん、横入りしてスイマセンでした<(_ _)>
前に飛練16期宇佐、艦攻専修生の集合写真↑に写っている教官(分隊長)、教員のことで、以下のようなことを書いているんです。
写っている教官教員。
菊田さんの戦後の回想によると、5期高松寿教員、7期清水政三教員、8期賀来準吾教員がいたとのことで、人数的にも合っています。
教官? 分隊長?
大尉さんでしょうか、不明。
先任順に座っていると仮定したら、
高松寿教員?
清水政三教員?
賀来準吾教員
この時点でどちらが清水教員か高松教員かわかっていませんでした。
今回、久保さんに直接見てもらいました。
この人が7期の清水教員だそうです!
で、この人が5期の高松教員だと。
座っている位置から想像していたのと逆でした。
分隊長のことは覚えていないとのこと。
賀来さんは間違いありません。
そのあとで、わたしもちょこっと。
先日、9期の島田清守さんの遺品の中に見つけた10期・田中武三さんと鈴木善三郎さんの写真を久保さんに渡して来ました。
田中さんとは延長教育の宇佐までご一緒。
鈴木さんとは1学年時同班でした。
鈴木さんの方が印象深く思い出が残っているかと思ったのですが、田中さんの方を、
「よく覚えている」
と言われ、鈴木さんの方は、
「ちょっとわからん」
と。久保さんがお持ちだった1学年班写真の鈴木さんをPC画面で拡大して見てもらったところ、
「小柄なやつだったかなあ?」
とどうやら思い出されたご様子でした。
楽しい時間はあっという間でした。
久保さんがお元気だったのがとてもうれしかったです。
乙18期の後輩の方も、
「わしもまだまだ頑張るぞ」
と(笑)
戻ってきて、今度は松山基地近くの掩体壕見学。
実際にこの基地で任務についていた搭乗員さん↑ですよ。
飛行して戻ってくると、滑走路の終わりのところに整備員が機番号が書かれたプラカードみたいなものを持って待っているんだそうです。
そこまで滑走して行って、整備員と一緒に飛行機を掩体壕に運んでくるんだとか。
※画像の掩体壕は彩雲の掩体壕ではなかったと言われていました
掩体壕は飛行場からはちょっと距離があるので、帰りはトラックが迎えに来てくれてそれの荷台に乗って帰ったものだ、という話をされていました。
一度、トラックの荷台に乗って飛行場へ戻る途中で敵機襲来にあったとか。
トラックが狙われる!
と覚悟したけど、自分たちは狙わずに飛行場を盛んに銃撃していた、と言われていました。
この搭乗員さんのお話はけっこう聞いていると思っていたのですが、こうやって掩体壕の前であらためて聞くと、初めて聞く話が出てくる、出てくる・・・・。
いろんな場所で、いろんな人と一緒に聞かないとダメですね(^^;)
ヒトによって関心の対象が違うから、一緒にいる人の質問次第で話がどんどん広がります。
飛行して戻ってくると、滑走路の終わりのところに整備員が機番号が書かれたプラカードみたいなものを持って待っているんだそうです。
そこまで滑走して行って、整備員と一緒に飛行機を掩体壕に運んでくるんだとか。
※画像の掩体壕は彩雲の掩体壕ではなかったと言われていました
掩体壕は飛行場からはちょっと距離があるので、帰りはトラックが迎えに来てくれてそれの荷台に乗って帰ったものだ、という話をされていました。
一度、トラックの荷台に乗って飛行場へ戻る途中で敵機襲来にあったとか。
トラックが狙われる!
と覚悟したけど、自分たちは狙わずに飛行場を盛んに銃撃していた、と言われていました。
この搭乗員さんのお話はけっこう聞いていると思っていたのですが、こうやって掩体壕の前であらためて聞くと、初めて聞く話が出てくる、出てくる・・・・。
いろんな場所で、いろんな人と一緒に聞かないとダメですね(^^;)
ヒトによって関心の対象が違うから、一緒にいる人の質問次第で話がどんどん広がります。