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乙9期 吉田俊光さん2016年12月08日 19時33分46秒

宮崎県出身、中攻操縦。



予科練入隊直後の氏名入り班写真。
11班。

東京行軍

1学年11班

操偵適性検査の11班班写真より

操縦専修集合写真

操縦専修整備実習

操縦専修集合写真

たぶん、たぶんですが、3学年の班解散会。

吉田さんは右端で急須と果物(リンゴ?)を持っています。

卒業間際。土浦海軍航空隊。



【飛練時代】
谷田部航空隊

谷田部海軍航空隊

大村海軍航空隊

大村か・・・・木更津か・・・・。

木更津大型機講習修業記念写真。





9期は13年6月1日に横須賀海軍航空隊に約200名(わたしが氏名を把握しているのは199名)が入隊しました。
そして戦争が終わる20年8月15日、その日までに、同期生のうち166名を失いました。
戦死、殉職、兵役免除後死亡・・・・。



吉田さんは9期で最初の戦死者です。
予科練・飛練中に一人の殉職者も出さなかった9期にとっては、最初の死亡者になりました。

亡くなったのは16年12月8日。アメリカとの戦争が始まった日です。



開戦初日、台南から比島クラーク飛行場の攻撃に向かった96陸攻27機の中に、吉田さんが副操をつとめる1機も含まれていました。

16年12月8日の1空行動調書には、吉田さんの搭乗機の欄にこう書かれています。

「離陸ノ際車輪パンク火災後爆発 五名戦死 二名重傷」






おもいで
「大東亜戦十二月八日第一号の戦死だった。君のお通夜を大村でやって身の引き締まる思いだった」

この回想は戦闘機の阿部健市さんのものです。
阿部さんは16年10月末に宇佐での艦爆操縦訓練を終えた後、出水(佐世保海軍航空隊の派遣隊)で戦闘機への転科訓練に入り、12月8日からは大村に移動して訓練を続けていました。
そこに吉田さんの訃報が入り、大村にいた戦闘機転科組でお通夜をやったということでしょうか。




予科練卒業アルバムの寄せ書き




16年12月8日  1空  比島方面へ出撃時車輪パンク火災後爆発



※画像は9期生ご遺族、ご家族ご提供

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