島田清守さんの遺品 ―玉砕鉢巻き― ― 2016年11月27日 19時36分46秒

縦幅はこの長さではありません。
三つ折だったか、畳まれてこの縦幅になっていました。
素材は何だろう?
光沢のある素材でした。Yさんは「絹だろうか?」と言われていたけど、わたしは何かわかりませんでした。
前に鉢巻きのことに触れたときには、
「(島田さんは)17年の正月は実家に帰っている(休暇)みたいなんですが、そのときに置いて行ったのか、それとも遺品として戻って来たのか・・・・。」
と書いているんですが、戦死後、瑞鳳から遺品として戻って来たものであることがわかりました。
一緒に遺品箱に入っていた遺品目録に「ハチマキ 玉砕 一」と書かれていました。
実は、島田さんの遺品を拝見しに行く前から、島田さんの遺品が瑞鳳から戻ってきているのではないか、ということはある人から指摘を受けていました。
いつも困ったときは頼っているKさん。
この人に、掲示板にアップされていた1枚の搭乗員写真を送ったところ、
「この人と島田さんは瑞鳳以前に接点はないように思われるので、この写真が島田さんの実家にあったのだとしたら、遺品は瑞鳳から戻ってきているのでは?」
と。
「この人」というのは、掲示板にアップされていた飛行服姿の搭乗員です。アルファベットのサインが入っていた・・・・。
あの人、3月15日に島田さんが行方不明になったとき、一緒に行方不明になったもう1機の艦攻の操縦員の方です。
この人の写真を見ただけで、遺品が戻ってきていることを言い当ててしまうKさん、すごいなあ!
というのを、ご実家で遺品目録を目にしたときにあらためて感じました。
遺品目録から、島田さんが瑞鳳に持ち込んでいた私物が他にもわかりました。
また紹介します。