あれから ― 2016年11月26日 11時07分33秒
島田清守さんの遺品でスキャンさせていただいたもの。
手紙と写真ですが。
わたしが連絡がつく関係者の方には送らせていただきました。
・手紙
瑞鳳の島田さん宛に届いていた手紙の中に(遺品として送り返されてきた?)、同期生からのものがありました。
そのうちのお一人の方のご遺族がメールで連絡がつく方だったので、手紙があったことをお知らせしたら、「ぜひ見たい」とのことだったのでメールに画像添付して送りました。
・手紙で話題
その手紙の中に「飛龍の清水に会ったらよろしく」という意味の一文が書かれていました。
手紙と写真ですが。
わたしが連絡がつく関係者の方には送らせていただきました。
・手紙
瑞鳳の島田さん宛に届いていた手紙の中に(遺品として送り返されてきた?)、同期生からのものがありました。
そのうちのお一人の方のご遺族がメールで連絡がつく方だったので、手紙があったことをお知らせしたら、「ぜひ見たい」とのことだったのでメールに画像添付して送りました。
・手紙で話題
その手紙の中に「飛龍の清水に会ったらよろしく」という意味の一文が書かれていました。

↑「飛龍の清水」こと清水巧さん。※予科練時代
その一文のことを姪御さんご夫婦にお知らせしました。
その一文のことを姪御さんご夫婦にお知らせしました。
・写真
岡吉郎さん。
瑞鳳の偵察4人で撮った写真。

ご遺族の方に送りました。
家でこの写真を見た記憶はない、とのことで。
萩谷幾久男さん。
家でこの写真を見た記憶はない、とのことで。
萩谷幾久男さん。

この写真と鈴鹿の班写真、萩谷さんの遺品の中になかったようなので郵送で送りました。
みなさん、たいへん喜んでくださっていました。
萩谷さんは、ぜひ島田さんのご遺族の方ともお会いしたいものです、とのことでした。たぶん、他の方も同じ思いだと思います。
実現するとよいなあ、と思います。
撮影して来た日記(14年分)はボチボチ読んでいます。
他人の書いたものを読むのは難しいです。特に70数年前に書かれたものなので、いまと表現が違います。
個人によって書き癖があります。
前に山岸昌司さん(乙6)の日記を読ませてもらったときもそうだったのですが、最初の頃はその「書き癖」がつかめていなくて苦労しました。でもある程度読み進んでいくと、「この人、こういうときはこういう書き方をするんだ」とういう「癖」がわかってきて、読めるようになってきます。
今回も、最初は何と書いてあるかわからなかったところも、読み進めていくうちにすらすら読めるようになってきました。たまーに、何と書いているのかわからない字もあります(^^;)
昨日、Yさんから電話がかかってきました。
島田さんのこととは別件の話だったんですが。
いや~、海軍の搭乗員のことを話せる知人がいるっていいですね~。
昨日は大野中尉のお酒話で盛り上がってしまいました。
いや、それはいいんです。
Yさんもいま島田さんの真珠湾前後の日記を読み進めているそうです。
ただ文字起こししているだけだから、それにどこまで説明(解説)をつけるか?
そんな話をされていましたね。
それ、わたしも日記を読みながら思いました。
ご遺族の方は「日記を読みたい、内容が知りたい」と言われていました。
読むだけなら文字起こししてあげたら読めると思うのですが、それと「内容を知る」ということはまた別のことです。海軍独特の用語とか、行事とか、背景とか、たぶん解説をつけないと意味がわらないと思うんですよね。
わたしもそんなに詳しくはないですが、ご遺族の方はこの遺品を見つけるまで、海軍のことに関心がなかったようなことを言われていたので、なおさらわからないでしょう。
日記の解読(?)はちょっと時間がかかるかな、という感じです。
時間がかかったとしても、Yさんに解説をつけてもらったら、ただ日記を読むだけよりも何倍も広い世界が見れると思います。わたしも楽しみです。
そうそう。
今回、まとめサイトからわたしのブログを見たという人から連絡をいただきました。
9期生存者の親戚の方でした。
貴重情報をいただきました。ありがとうございました。
今後にも期待!(^o^)
こんな形でつながっていくこともあるんですね。
こういうことをしているとつくづく感じるのですが、まったく無関係で、接点のないまま生きてきた同士が、70数年前に亡くなった人を通じて知り合えるという縁の不思議。
かれらも家族のもとに帰りたがっているのだろうなあ。
※画像は9期生ご遺族ご提供
みなさん、たいへん喜んでくださっていました。
萩谷さんは、ぜひ島田さんのご遺族の方ともお会いしたいものです、とのことでした。たぶん、他の方も同じ思いだと思います。
実現するとよいなあ、と思います。
撮影して来た日記(14年分)はボチボチ読んでいます。
他人の書いたものを読むのは難しいです。特に70数年前に書かれたものなので、いまと表現が違います。
個人によって書き癖があります。
前に山岸昌司さん(乙6)の日記を読ませてもらったときもそうだったのですが、最初の頃はその「書き癖」がつかめていなくて苦労しました。でもある程度読み進んでいくと、「この人、こういうときはこういう書き方をするんだ」とういう「癖」がわかってきて、読めるようになってきます。
今回も、最初は何と書いてあるかわからなかったところも、読み進めていくうちにすらすら読めるようになってきました。たまーに、何と書いているのかわからない字もあります(^^;)
昨日、Yさんから電話がかかってきました。
島田さんのこととは別件の話だったんですが。
いや~、海軍の搭乗員のことを話せる知人がいるっていいですね~。
昨日は大野中尉のお酒話で盛り上がってしまいました。
いや、それはいいんです。
Yさんもいま島田さんの真珠湾前後の日記を読み進めているそうです。
ただ文字起こししているだけだから、それにどこまで説明(解説)をつけるか?
そんな話をされていましたね。
それ、わたしも日記を読みながら思いました。
ご遺族の方は「日記を読みたい、内容が知りたい」と言われていました。
読むだけなら文字起こししてあげたら読めると思うのですが、それと「内容を知る」ということはまた別のことです。海軍独特の用語とか、行事とか、背景とか、たぶん解説をつけないと意味がわらないと思うんですよね。
わたしもそんなに詳しくはないですが、ご遺族の方はこの遺品を見つけるまで、海軍のことに関心がなかったようなことを言われていたので、なおさらわからないでしょう。
日記の解読(?)はちょっと時間がかかるかな、という感じです。
時間がかかったとしても、Yさんに解説をつけてもらったら、ただ日記を読むだけよりも何倍も広い世界が見れると思います。わたしも楽しみです。
そうそう。
今回、まとめサイトからわたしのブログを見たという人から連絡をいただきました。
9期生存者の親戚の方でした。
貴重情報をいただきました。ありがとうございました。
今後にも期待!(^o^)
こんな形でつながっていくこともあるんですね。
こういうことをしているとつくづく感じるのですが、まったく無関係で、接点のないまま生きてきた同士が、70数年前に亡くなった人を通じて知り合えるという縁の不思議。
かれらも家族のもとに帰りたがっているのだろうなあ。
※画像は9期生ご遺族ご提供
春海、いまさら驚く ― 2016年11月26日 22時27分47秒
夕方、ぐでたまがサンリオのキャラだという話を春海から聞いて驚いたママ。
「マジか!? TBSのキャラやと思とったわ~」
そのとき、春海がサンリオつながりでシナモロールのピアノ絵本を部屋から持ってきました。
※中3です
「はーちゃん、そのキャラ、シナモロールやで、知ってた?」
「あ? 何、それ(笑)」
「その子はシナモンやけど、それと似たのがいっぱいおるやろ、総称してシナモロールやで」
「シナモンロールやろ(笑)」
「ホンマやって」
「ホンマや!! ここにシナモロールって書いてある!!(驚愕)」
「マジか!? TBSのキャラやと思とったわ~」
そのとき、春海がサンリオつながりでシナモロールのピアノ絵本を部屋から持ってきました。
※中3です
「はーちゃん、そのキャラ、シナモロールやで、知ってた?」
「あ? 何、それ(笑)」
「その子はシナモンやけど、それと似たのがいっぱいおるやろ、総称してシナモロールやで」
「シナモンロールやろ(笑)」
「ホンマやって」
「ホンマや!! ここにシナモロールって書いてある!!(驚愕)」

いままでずっとシナモンロールだと思っていたそうです。
一つ賢くなりました。
テストには出んけど(笑) ※テスト前です