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昨日のこと2016年11月04日 08時07分14秒

昨日はほぼ一日ネットに貼りついていたような気がします。
ごはんを食べる暇もなく、(たぶん)痩せました(笑)


もし、ご覧になられていない方がいたら、「ハム速 蔵」で検索してもらった出てくると思います。



写真がすごいです(丿 ̄ο ̄)丿



予科練生と搭乗員の写真はほぼ何の写真か、誰が写っているかわかります。
でも、ネットで見たので画質がイマイチ。大人数の写真は個人までわかりません(本人はどれかわかる)。
あとは現物を見てみてから・・・・。



夜中に写真を見返して気づいたのですが、すごい人の写真がありました。
「すごい」といっても、世間の人にとって「すごい」んじゃなくて、おそらくご遺族の方にとって「すごい」んじゃないかと思われる人。
気づいたときにはなんか不思議な気持ちになって、涙が出そうになりました。
すぐにいつものKさんにメールしたんです。「○○さんの写真があった!!」って。
朝起きたら、その関連の資料がたくさん送られてきていました。
Kさん、いつもありがとうございます(T_T)
活用させていただきます。




人物写真ではないのですが、もともとの掲示板の方に「玉砕」の鉢巻きがアップされていました。
わたしはこれがもう何とも言えなくてですね・・・・。
鳥肌・・・・と言ってしまうと月並みなんですが。なんかことばで表現できない・・・。



倉町先生の『予科練外史』に、この鉢巻のことが書かれています。

以前にも書いたことがありますが、『留魂録』の話
16年の年末に倉町先生が白峯陵にお参りしようとして汽車に乗ったら、そこに大型機講習を修了して戦地に向かおうとしていた9期の中攻偵察員たちが乗り合わせていた――って話です。
『誘われるままに私は彼らの車輌に乗り込んだ。網棚の上には似たようなトランクが二つずつ重ねてある。日本刀を入れた紫色の袋を巻いた真紅の下げ緒が目を射る。列車が進行する動揺で網棚の下の鈎にかけた洗面袋がぶらんぶらんと揺れている。中には「玉砕」と染め抜いた日の丸の鉢巻きをきりりと締めているものもあった』



これも以前書きました。鹿屋空の9期生たちが戦地から倉町先生に送った色紙に書かれていた岡本清見さん(中攻偵察)のことば。

玉砕の鉢巻も雄々しく元気で頑張っています』



さらに、17年8月7日のガ島攻防戦の初日、
『この朝早く、攻撃準備が発令されたとき、陸攻の主電信員乙九期の加村外三三飛曹は、いつになく胸騒ぎのようなものを感じて、ふだんは持参しない千人針といっしょに、同期偵察員の合言葉、「玉砕」と染め抜いた鉢巻きをバッグに入れた』



倉町先生は「同期(9期)偵察員の合言葉」と書いていますが、『予科練外史』に書かれているのはすべて中攻の偵察員ばかりなので、わたしは「9期中攻偵察員の合言葉」、と思っていたのですが、掲示板の人の大おじさんが持っていたとしたら、やはり「9期偵察員の合言葉」だったんですね。

画像とはいえ現物を見たのは初めてだったので、感動というか、なんというか、ほんともう語彙が貧弱で申し訳ないんですが、衝撃でした。

みんな、戦地に持って行って活用(?)していたんですよねえ・・・・。

掲示板の人の大おじさんは、17年の正月は実家に帰っている(休暇)みたいなんですが、そのときに置いて行ったのか、それとも遺品として戻って来たのか・・・・。




※画像は9期生ご遺族ご提供。

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