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乙9期 池本忠清さん2016年09月23日 18時49分33秒

鹿児島出身、中攻偵察


予科練の操偵適性検査。



予科練、霞ヶ浦海軍航空隊、1空です。
先日出した木下さんの霞ヶ浦時代、1空の階級章付きの一種で写っている写真、何人か同じような写真があると書きましたがそのうちの一枚です。
石川さんが15年7月と記入しているので、これももしかしたら15年7月かも知れません。




鈴鹿海軍航空隊(練習機飛練)






この3枚のうち一番上はペンネントが「鈴鹿海軍航空隊」です。残り2枚も鈴鹿時代の写真の可能性が高いのかな?
いずれも藤原さんの写真です。


その後、実用機で大分空、卒業後は木更津で大型機講習。
実施部隊は高雄空。





余談ですが。
軍服を着ていたらわからんと思いますが、服を脱いだらすごい体してはるんですよ( ゚Д゚)
「予科練で鍛えた」んじゃなくて、予科練に入る前に何かやってたやろ!?って体です。
1学年時の水泳授業時の集合写真があるんですが(水泳帯と水泳帽のみ着用)、肩まわりがすごいです。他の同期生たちはまだヒョロッとしているので一人だけ特別目立ちます。
鹿児島出身と聞き、単細胞のママは「チェスト―――――ッ!!!!」しか思い浮かばんのですが(^^;)
いや、武道というより体操系かなあ????
でも体操部集合写真には写っていないしなあ。








おもいで

古武士(言動共に)の風格?たしか予科練よせ書きに○○アソン池本忠清とあった。

薩摩(島津藩)の家老の子孫であった。昔の家来筋の人が大尉で、大尉は時々彼を呼んでいた。本当だと思っている。

船務実習の時もその人の面会でチョッピリみなを羨ましがらせていた。

爆撃行に際し機上で日本刀を抜き、気勢を揚げているという話がマキン島基地まで流れてきたが。





一番上の人の回想にある「予科練よせ書き」というのは↓これです。

「アソン」ではなく「小池田甚之兵衛平忠清」と名乗りを上げています。
これはどう見ても海軍軍人の名乗りではなく乱世の武将の名乗りでしょう。
やあやあ我こそは――

寄せ書きにはこう書いていますが、もしかしたら他のところで「平朝臣忠清」とか書いていたのかもしれません。

『予科練外史』にも似たような話が出ています。
「年少にして古武士の風格あり。自己の所持品総てに、手拭、褌に至るまで、「薩州〇〇の住人」或は家紋を記していたという」※〇〇はわたしが改変


他の人が言っている「薩摩の家老の子孫」うんぬんはわたしもちょっと調べかけたのですが、裏がとれませんでした。真偽不明。

「昔の家来筋の人が大尉」というのは複数の証言者がいるので、本当なのでしょうかね。
たしかに、予科練生(2等航空兵)の元に大尉が面会に来てくれたらみなからうらやましがられることでしょう。
二人きりになった途端、
「忠清さま、教員から罰直など受けられておりませんか?」
「うむ・・・・大丈夫じゃ。それより飯が足りん」
「さっそく手配いたします」
なんて会話をしていたら・・・・   スイマセン、妄想です。

最後の「機上で日本刀を抜き気勢を揚げている」というのは、いかにも池本さんならやりそうってだけで、実際はなかったんじゃないかな? 一式陸攻に日本刀を持ち込んだ上に機内で抜くというのはちょっと考えづらいです(^^;) 池本さんは実施部隊に出たばかりの3飛曹の新前で、機内では何かと忙しかったはず。戦闘中に日本刀を抜いて檄を飛ばせるような立場とは思えません。




伝説の男、池本さん。




17年3月28日  高雄空  コレヒドール島



※画像は9期生ご遺族ご提供

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