乙9期 木下光三さん ― 2016年09月20日 00時00分45秒
静岡県出身、中攻操縦員。
飛練・練習機教程は筑波。攻撃機に進み大分空、木更津で大型機講習、鹿屋空、751空。
木下さんの写真、かなりあります。
今日は個人写真だけ。
今日は個人写真だけ。

霞ヶ浦海軍航空隊、1空なので、15年6月~9月ごろでしょうか。

これも霞ヶ浦海軍航空隊、1空。
一種なので9月~11月頃・・・・と言いたいところですが、石川茂さんがアルバムに貼っていた写真、
一種なので9月~11月頃・・・・と言いたいところですが、石川茂さんがアルバムに貼っていた写真、

「昭和十五年七月三日」の書き込みがあるんですわ。
同じときに撮った写真じゃないかと思うんです。
内地にいて7月に、フツーはこんなかっこうしません。
わたしの想像ですが、何か必要があって隊で特別に個人写真を撮ったんじゃないかと思うんです。
同じ写真は萩谷さんのアルバムにも貼られていました。何枚も。池田さん個人の分もありました。
「何か必要があって」――わたしはこれを卒業アルバム用の個人写真だったんじゃないかと想像しているんですが・・・・。卒業4か月前の夏にわざわざ一種で撮る必要性――。
結局、9期は卒アルで個人写真は使っていませんけど。
同じときに撮った写真じゃないかと思うんです。
内地にいて7月に、フツーはこんなかっこうしません。
わたしの想像ですが、何か必要があって隊で特別に個人写真を撮ったんじゃないかと思うんです。
同じ写真は萩谷さんのアルバムにも貼られていました。何枚も。池田さん個人の分もありました。
「何か必要があって」――わたしはこれを卒業アルバム用の個人写真だったんじゃないかと想像しているんですが・・・・。卒業4か月前の夏にわざわざ一種で撮る必要性――。
結局、9期は卒アルで個人写真は使っていませんけど。

ペンネント、階級章ともに見えません。
しかし、写っているのが左から木下さん、杉本栄さん、亀山一郎さんではないかと・・・・。
これも想像ですが、撮ったのは池田和義さんではないかと・・・・。
ここに出している木下さんの写真、一番最後の鹿屋空同期会以外は全部池田さんのアルバムに貼られていたものです。写真を見た印象ですが、↑このサイズの写真は池田さんが自分のカメラで撮ったんではないかと想像しています。
とすると、4人が一緒だったのは予科練が最後なので、予科練時代の写真かなあと想像しています。
もし、池田さんが撮ったものではないとしたら、木下さん、杉本さん、亀山さんは練習機飛練の筑波で一緒だったので、そこで撮られた可能性もあります。
木下さんって、この写真を見たら長身に見えるかもしれませんが、小柄な人です。
この写真では鳥居?の台座に乗って稼いでいます(笑)
ペンネントは大日本帝国海軍。善行章1線、階級章は1飛(1等飛行兵)。16年6月~9月頃?
攻撃機実用機訓練の大分か、大型機講習の木更津か・・・・。
しかし、写っているのが左から木下さん、杉本栄さん、亀山一郎さんではないかと・・・・。
これも想像ですが、撮ったのは池田和義さんではないかと・・・・。
ここに出している木下さんの写真、一番最後の鹿屋空同期会以外は全部池田さんのアルバムに貼られていたものです。写真を見た印象ですが、↑このサイズの写真は池田さんが自分のカメラで撮ったんではないかと想像しています。
とすると、4人が一緒だったのは予科練が最後なので、予科練時代の写真かなあと想像しています。
もし、池田さんが撮ったものではないとしたら、木下さん、杉本さん、亀山さんは練習機飛練の筑波で一緒だったので、そこで撮られた可能性もあります。
木下さんって、この写真を見たら長身に見えるかもしれませんが、小柄な人です。
この写真では鳥居?の台座に乗って稼いでいます(笑)

攻撃機実用機訓練の大分か、大型機講習の木更津か・・・・。


この2枚は同じときの撮影でしょうか。
下宿かな?
もし、池田さんが撮ったとしたら木更津かな?
下宿かな?
もし、池田さんが撮ったとしたら木更津かな?

ペンネントは大日本帝国海軍。善行章1線、階級は1飛。
16年9月。
木更津の高須写真館の刻印入り。
16年9月。
木更津の高須写真館の刻印入り。



下士官に任官しているので16年10月以降です。
どこかわかりません。
が、池田さん撮影だとしたら木更津。その後二人が会える機会はないように思うので。
これも16年10月以降、としかわかりません。
写真の雰囲気が高須写真館の写真とよく似ていますが、刻印はありません。
どこかわかりません。
が、池田さん撮影だとしたら木更津。その後二人が会える機会はないように思うので。

写真の雰囲気が高須写真館の写真とよく似ていますが、刻印はありません。

おもいで
サ イゴンの二○一基地鹿屋空一式陸攻のサブをしていた。鹿島長重君との二人が分隊で二人の操縦同期だった。カビエンに転戦、ニューギニアのポートモレスビー の薄暮攻撃で燃料満載250キロ二発60キロ四発を積んで離陸した、編隊を組む前に目標上空雨の電報で急遽攻撃中止燃料廃棄爆弾満載のまま着陸したのがき みのメイン操縦になって初めての着陸だった。若干オーバーランしたけれど見事な着陸だった。その君が今は・・・・・
18年5月14日 751空 ニューギニア、オロ湾攻撃
このオロ湾攻撃は251空戦闘機隊の初陣と言われている攻撃です。
西澤さんや遠藤さんたちが援護して行った陸攻の中に木下さんがいました。
※画像は9期生ご遺族ご提供
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。