Google
WWWを検索 ひねもすを検索

乙9期 桑島武一さん2016年09月08日 21時22分58秒

先ほど触れた桑島武一さん。

香川県出身。中攻操→戦闘機。
瑞鳳。

1学年時は4班。


飛練、中練は筑波。

筑波卒業後は大分空で攻撃機の実用機訓練。

その後大村組と合流して木更津で大型機(中攻)講習。

先ほども書きましたが、その後、艦爆に転科したものと思っていましたが戦闘機に転科。

瑞鳳戦闘機隊の集合写真に写っています。



19年2月25日 兵役免除
20年5月3日 死亡




「おもいで」
バレーの主将であった。上手であった。歌も上手だった。俺はいつも聞き惚れたものだった。特に詩吟くずしを唄って「今宵かぎりか日本の桜・・・・」とうまかったね。

佐世保の病院で会ったとき、君が目がかすんで見えないよと言っていたが、あれから俺は佐伯を経て沖縄特攻隊になるため指宿へ行った。眼の上に小さな銃痕があったがあれが致命傷とは思えないほどだ。同県出身のこととてよく一緒に遊んだことを思う。

ラバウルから佐世保海軍病院へ送院されたら君が眼科に入院していて心強かった。君の免役退院を送って何回か手紙を出したが返事がなかった。そのとき君は早や鬼籍に入っていようとは。







回想に「佐世保の病院」「佐世保海軍病院」という記述がありますが、この二人の戦歴や何やらを勘案すると、佐世保で顔を合わせたのは18年の夏ではないかと思います。

瑞鳳の行動調書、ほとんど白紙です。
大きな戦闘があったときは搭乗員の氏名が記載されています。森田守さんも都地肇さんもお名前があります。が、桑島さんのお名前、見たことがないんですよ。

桑島さんがいったいいつどこの戦闘で怪我(目の上の小さな銃痕)をされたのか、まったく把握できていません。






桑島さんの木更津時代の写真。
石川茂さんのアルバムに貼られていました。
16年10月25日 木更津。
一緒に写っているのは石川さん(17年2月20日 4空、ニューギニア沖航空戦)、三浦駿一さん(元8期、戦後生存)、桑島さん。


同じときの写真。
石川さんと桑島さん。


ちょっと不良の石川さんと桑島さん。



※画像は9期生ご家族、ご遺族、Hさんご提供

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック