Google
WWWを検索 ひねもすを検索

乙8期 持田竹雄さん2016年07月24日 15時43分45秒

以前、8期から9期に編入された人ではないかと言っていた新潟出身の謎の人。


集合写真から以下のことがわかっていました。
・新潟出身。
・14年9月1日(8期生卒業日)時点で2空。これよりあと、9期と一緒に進級しているもよう。
・9期生氏名入り班写真(入隊直後)には写っていない。
・入隊直後の9期新潟出身者集合写真には写っていない。
・1学年時の分隊は後ろの分隊(9~16班)。
・偵察専修生。
・中攻偵察員ではない(実用機飛練は博多)。

こんなところからある程度絞り込んでいたのですが、判明いたしました。



持田竹雄さん

新潟出身、乙8期。

艦攻の偵察員です。



持田さんがいつ9期に編入されたかですが。
以前、この人が写っている一番古い写真は14年5、6月の操偵適性検査、後ろの分隊集合写真だと書いたと思うんです。

あれからいろいろ探してみました。

もしかしたら、これ、持田さんかもしれません。誰かわからなかったんです。
大楠山慰安行軍。
1学年、横須賀時代、13年の秋~14年2月ごろかなと思っています。



9期は10期と違って年譜がありません。
10期は主な行事などを何年何月何日にやったという年譜が同期生会誌に掲載されているのですが、9期の方は進級日(間違っているけど)と所属航空隊の変遷(これも間違っ・・・・)ぐらいです。

行事の方は、松本さんの書簡や、個人のアルバムの写真への書き込みぐらいしかありません。
辻堂演習はそれでわかったのですが、大楠山慰安行軍は日時不明です。



たとえば、大楠山慰安行軍が横須賀時代の秋冬頃で、写真の人が持田さんだったとして。




後ろの分隊、いったい何班に編入されたのだろうか?

10、11、12、15班以外です。
つまり、9、13、14、16班のいずれか。

元の人数――
9班・・・・13名
13班・・・・13名
14班・・・・12名
16班・・・・12名

編入するとしたら、人数的には14班か16班でしょうか。
9班はS練習生が、16班はY練習生が途中で辞めていますが、持田さんの編入が先か2練習生が辞めたのが先か、不明です。

13班はもともと13名で、辞めている人もいないことから、持田さんが入ると14名になってしまい他とのバランスを欠くので、まあ、ないでしょう。


しかし、16班の生存者で、手記を書いている本間さんが持田さんのことに何も触れていないので、16班だとすると、それが不思議です。本間さんはおまけに同郷ですからね。


というわけで、一番可能性が高いのは14班。途中退学者の辞めた時期によっては9班、16班もあり????

あ、10、11、12、15班を除いたのには理由があります。
10班は霞ヶ浦時代(14年3月1日~)の班写真に持田さんが写っていないからです。※病気でたまたまの可能性も捨てきれませんが
残り3班は、持田さんも参加している操偵適性検査の班集合写真に持田さんが写っていないからです。





先日、Kさんにいただいた8期の同期生会誌。
九期生名簿と同じように、同期生たちが戦没者へ寄せた思い出があるのですが、そこに持田さんのことは記載されていません。
※同じく8期から9期に編入された三浦駿一さんは生存者として文章を寄せています。
鈴鹿飛練から写真に写っている小薬武さんは戦没者として思い出が寄せられています。

もちろん、九期生名簿にお名前はなく「おもいで」もありません。
藤代さんや本間さんの手記にも。


「どこかに持田さんの人となりがわかる述懐などはないだろうか・・・・」

と探していたら、『予科練外史』にありました。倉町先生が書いてくれていました。

予科練1学年、まだ8期生時代の操偵適性検査時(13年5月)の水戸への外出時のエピソードです。



解散すると、持田竹雄練習生は、同班の者四、五名とぽつぽつ歩いて駅に向かった。
道巾は狭いし、家並は雑然として、天下の副将軍の城下町も来てみれば大したこともないなどと話しながら歩いていると、一緒に歩いていた一人がパッと敬礼をした。注目すると、色眼鏡をかけた古風な和服の青年である。
「何で敬礼なんかするんだい。」
「貴様はわからないのか。今の人は分隊長だぞ。」
しまった!と思ったが遅い。佐藤愿海軍大尉とは思いもかけなかったのだ。芳年二十九歳、佐藤大尉は彼らの友部在隊中の分隊長であった。礼を失したと、しおれて歩いているうちに腹がすいてきた。衆議一決、目の前の食堂に入り、鮨を頼んだ。入隊以来食堂に入ったのは初めてである。予科練では指定食堂以外には入らないことになっていたからだ。
鮨のできるのを待っている所に仲間が五、六人入って来た。思い思いのものを注文して食べ始めた。一皿平らげて、次のを頼もうとすると、「もう時間がないぞ。」と言う。金を払おうと懐に手を入れて、はたと当惑した。手にさわったのは昨日買った石鹸箱だ。霞ヶ浦で蟇口を落としたが、酒保には売っていなかったので、間に合わせに買った金入れである。大勢の前には出し兼ねる。それでも出したがいいか、出さないがいいか思案する。出せば笑われて後々まで話の種にされるだろう。思い切って借りることにして、小声で、「おい。すまないが、俺のも払ってくれ。」と頼んだ。友人は不思議そうにして自分の蟇口から支払いをすませてくれた。彼はほっと胸をなで下ろした。急いでそこを出て駅に向かう途中、
「お前、さっきどうしたのか。」
と早速聞かれ、彼は石鹸箱をとり出してカラカラと音をさせてみせながら、ことの次第を説明、みんなに大笑いされた。
――同班の者ならいいんだ。――しかし、彼は矢張りきまり悪かった。







14年5、6月 操偵適性検査
このときは2度目の操偵検査ということです。


14年夏 香取神宮集合写真


時期不明 階級章は2空(14年8月1日~15年5月31日)
偵察専修生総員集合写真


【鈴鹿飛練】

奈良行軍・春日大社南門


同じく
橿原神宮石碑前


同じく伊勢神宮




19年2月18日  551空  テニアン


※画像は9期生ご遺族ご提供
※倉町秋次『予科練外史』

コメント

トラックバック