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河合四郎大尉の肉声2016年02月27日 17時17分31秒

久しぶりの肉声シリーズ( ̄▽ ̄)

河合四郎大尉の巻。

17年8月4日、台南空。


石川清治さんの手記「ポートモレスビー空爆行」より。

千歳空時代の話。

『腕に覚えのある連中は、黒板の前に集まって分隊長の河合大尉に「私を私を!」と盛んに注文するが、分隊長は、「そんなに一ぺんには上がれんよ、まず俺が上がる」と言って河の字を丸で囲んだ。次に西の上に○印を附された。西沢二飛曹だ』


同じく千歳空。たぶん17年2月3日。
夜の飛行場で夜間空襲に来る敵機を待っていると、この日もやはりやってきました。ブーンブーンと蚊の鳴くような爆音が。

『「来た来た! 分隊長来ました」
と呼ぶが返事がない。
「分隊長、分隊長!」と大声で叫ぶと、指揮所――指揮所といっても携帯天幕を張っただけのものだが――の裏の草藪の中で、
「今野糞しているんだ。西沢先に上がれ」と落ち着いたものだ。西沢二飛曹、喜ぶまいことか一目散にかけて行き、飛行機に跳び乗り離陸していった。しかし暗夜のためか容易に敵機が捕捉できずに降着(夜間空戦は単座機では無理、訓練もしていなかった)』

※西澤さんは1飛曹


河合大尉、冷静な人です。どんな事態に陥っても慌てません。さすが指揮官。





報道班員(画家)の林唯一氏の手記『爆下に描く』(中公文庫)。
17年8月7日のガ島攻撃後の指揮所の様子。

『指揮所の階段を駈け上がってきたのは××飛行長(中島正飛行隊長のこと)である。飛行帽、飛行服と、かきむしるように脱ぎ捨てて、
「いや今日は墜した墜した、何ぼ落としたかしれん」と、その細い髭を伸ばした、痩躯の飛行長は、体とは別人のような元気な高声で、
「散々叩きつけて、もう居なくなったと思って引っ返すと、また後から食い下がって来やがってのう、何ぼ位墜したかい」と言って、後からはいって来たK大尉(河合大尉)に訊く。
K大尉は、腕に分隊長の印を付けた飛行服を脱ぎながら微笑していた。若い艶々しい顔をしていた。従兵がコップに冷たいものを注いで持って来た。
「勘定していられなかったが、二十五六機でしょう」
「おいおい、あんなに墜して、それっぽっちかい」
「それ位でしょう。僕は六機墜した」
二人は冷たいものを、一と息に飲み乾した』


なかなか景気がよいですな。




いや、わたしが「おっ!」と思ったのはそこじゃないです。

2つあるんですが。

1つは文中に書かれた「腕に分隊長の印」、これです。
飛行服の腕に「分隊長の印」をつけていたっていうんです。

どれだ!?
左袖は階級章ですよね?

河合大尉の台南空時代の写真って、飛行服姿があまりないです。
林さんの手記で、攻撃から帰って来たらすぐに脱いでいたからだと判明しました。

河合さんの飛行服姿は、これ(17年11月251空)と、17年9月7日のモレスビー攻撃時、これは台南空翻訳本にも画像が出ています。たしかに左袖に何かついているんですが、大尉の階級章ではないのかな?

あと、『海軍戦記』(映像)の戦果報告シーン、報告する河合大尉の後ろ姿。
YouTubeに「海軍爆撃隊」って名前であがっています、その10分30秒ぐらいから。

戦果が書き込まれた黒板の直後にうつる、整列する後ろ姿の隊員右が河合大尉ですが、左袖にやはり何かついています。階級章じゃないのかな? 白っぽく見えますね。これが「分隊長の印」なのか?

林さんのこの記述を読むまで、わたしは分隊長が飛行服に印をつけていたってことを不覚にも知りませんでした。

ちょっと研究してみたいです。


この映像、河合大尉は何かメモみたいなものを見ながら戦果を報告していて、あまり動きはありません。が、ちょっと頭が動きます。そして最後に一瞬、斎藤司令の方に顔を向けるんですよね。
「河合さんが動いた!!(゚∀゚)」
ってめっちゃ感動しますよ。

残念ながらこの映像に河合さんのお顔はうつっていません。お隣の吉田素網1飛曹(この日河合さんの2番機)も後ろ姿オンリーです。
(他の台南空搭乗員は何人かお顔がうつっています。山下丈二大尉、笹井醇一中尉とか山下佐平飛曹長、坂井三郎1飛曹、西澤廣義1飛曹、太田敏夫1飛曹、木村裕3飛曹などなど)




話を元に戻します。

「おっ!」となったもう1つの記述。

「僕は六機墜した」


何度も言いますが、「六機」と盛っていることに驚いたんじゃありません。

「へー、中島少佐と話をするときに一人称『僕』だったのかー」
↑ここです(^^;)

「貴様と俺」というぐらいだから、同輩や後輩と話すときは「俺」のイメージ。
(部下に対しては河合さんも「俺」と言っています)
でも、上官や先輩と話すときは「わたし」かな?と思っていました。勝手に。
河合さんは「僕」なんだー(*'▽')

わたしの周辺に自分のことを「僕」って言う人、二人しかいません。
偶然だと思うのですが、二人とも大学教員です。

元海軍さんは「俺」か「わたし」が多いような気がします。たまに「わし」(笑)
「僕」と言われる人もいるかもしれませんが、わたしはいままで気づかなかったです。


というわけで、ちょっとこの河合さんの「僕」は「おっ!」と思ってしまいました。

ま、林さんが聞きとったことを正確に記述されたかどうかはわかりませんけどね(^^;)






肉声ついでに直筆も。


これは西澤さんが台南空時代にマラリアで入院したときに、士官搭乗員から贈られたという日の丸の寄せ書き。
ことばを寄せているメンバーから、9月の前半に書かれたものではないかとわたしは考えています(9月13日に戦死した高塚飛曹長のお名前がある)。

みなさん、病床に伏している西澤さんにいろいろとことばを寄せて署名されています。
たとえば高塚飛曹長は「無」、斎藤司令は「至誠」←どういうつもりでこれらのことばを書かれたのかなあ、と考えると、これはこれで興味深い研究対象ではあります


河合さんは、

「分隊長 河合四郎」

のみ。

これだけで、

「西澤、早くよくなって戦線に復帰しろよ」

というプレッシャーをかけるとはさすが分隊長・河合四郎大尉。

ちなみに中島さんも、「飛行隊長 中島正」でプレッシャーをかけています。


こういうところから、河合さんは情熱的な人というより、あっさりさっぱりした人だったんじゃないかなあと、勝手に思い描いているわけです。
筆跡もね、なんか見ているだけで落ち着く筆跡ですよね。 ※あくまで個人の感想です


河合さんが松岡修造さんばりの情熱家だったら、きっと、
「元気!!  河合大尉」
とか書くと思うんですよね、もっと熱い筆跡で。

んー、書かないか(・ω・)







あと、先述の林唯一さんの手記に、

『指揮所の手摺に黒板を立てかけて、K大尉が戦闘記録をとっていた。搭乗機名、撃墜機の機種、機数、味方機の故障個所などが赤、白の数字や記号で一ぱいに書きつけられていた。
「お前は何機墜した?」
「グラマン一機、P四○一機」
「お前は?」
「グラマン三機、一機不確実です」』

という記述があるので、もしかしたら、『海軍戦記』の戦果報告の黒板も、河合大尉が書かれたものかもしれません。


※画像は武田信行氏ご提供

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