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週刊安全保障2016年02月27日 09時48分15秒

ネット番組らしいんですが、「週刊安全保障」という番組内で大日本絵画の『台南海軍航空隊 【ニューギニア戦線篇】』(台南空翻訳本)がプレゼントとして紹介されていました。

2月13日に放送されたようなのでプレゼントはしてもらえませんが、岡部いさくさんが手に取って中をパラパラ見せてくれているので、興味のある方はどうぞ


3分10秒ぐらいのところからです。




岡部さんが本をめくっているときに台南空の士官搭乗員の集合写真がちらっとうつります。

この写真のこと、ブログでちょっと触れる予定。

河合四郎大尉のこと2016年02月27日 12時55分10秒

台南空の翻訳本。
わたしがこの本、のめり込んで読んでしまった理由はいくつかあります。

「山崎さんの不時着のことが書いてある!」

「9期生がけっこう登場している!」

「いままであまり取り上げられていなかった搭乗員のこともちゃんと書いてあるなあ!」


そして、これ↓
「この著者、絶対河合大尉のこと、好きやわ」

読まれた方います?

そう思いませんでした?(^^;)





以下、ひとりごとなんで、あまりお気になさらずに。

外国人の著者が河合大尉に惚れた気持ち、すごくよくわかります。

あの二人、たぶん、行動調書に首ったけになったと思うんです。
たとえばの話、『大空のサムライ』を読まずに台南空の行動調書を見たら、「この人の列機になりたい」ナンバーワンは河合大尉じゃないかと思うんです。

あ、いや、わたし、『大空のサムライ』を読もうがそう思いました。






東京出身、海兵64期。飛行学生31期。

台南空までの経歴は以前羽藤さんのところで書いたので省略。

台南空以後は一旦内地に戻ったのち、201空の飛行隊長。
20年12月23日、比島で戦死(戦闘308、戦死時少佐)。



指揮官先頭の鑑みたいな人です。わたしはそう思います。



台南空17年8月4日集合写真の河合大尉。


251空11月集合写真の河合大尉。



この間の写真も何枚かあります。



だいぶ前に使った画像の使いまわし。ラバウルの指揮所前で。
前列左から、河合四郎大尉、中島正少佐、山下丈二大尉、高塚寅一飛曹長。

後列左から、村田功中尉、大野竹好中尉、笹井醇一中尉、林谷忠中尉、結城国輔中尉。

だろうと思っています。



で、この写真なんですけどね、台南空翻訳本にも掲載されていました。

ひとつ前の投稿で紹介したんですが、ネット番組?「週刊安全保障」でプレゼントとして紹介されたときに、岡部いさくさんがぱらぱらめくられていたのですが、そのときこの写真がはっきり写っていました。
ご覧になられたことがない方はそちらでどうぞ。


翻訳本には河合大尉のところだけトリミングされた状態でも掲載されていました。
そのキャプション見て、笑っちゃいました。

『ラクナイでの河合四郎大尉。1942年6月、個性的な髪型からわかるように、河合はかなりの自信家だった。彼の情熱的な性格は、天性の指揮官としての才能と評価を一層高めた。河合が不参加だった作戦を数える方が難しい』
※ 「ラクナイ」・・・・ラバウル東飛行場、「1942年6月」・・・・兵68期の人たちが写っているので7月末か8月初かな? 山下政雄大尉(7月初め内地 へ)、栗原克美中尉(7月20日戦死)も写っていないですしね。あ、写っていないのは根拠にはなりませんです(^^;)



全体的にはいいこと書いてあると思うんですよ。

でも・・・・

「個性的な髪型」→「自信家」――ここに注目せざるを得なかった(^^;)

この写真の河合さんの髪型って、特別ヘンな髪型ではないですよ。
長髪ってだけですよね。
隣の中島さんとその隣の山下さんが坊主。外人が持っている「帝国軍人」のイメージはこちらで、長髪の河合さんが「個性的な髪型」に見えたんでしょうかね?

いやしかしね、大野さんも笹井さんも長髪なんですよ?

どうして河合さんだけ、「個性的な髪型」にされちゃったんでしょうか。アフロだモヒカンだキムタクだってんならその評価も納得せざるをえないですが、長髪がちょっと逆立っているかな?って程度で「自信家」ですからね。

「情熱的な性格」ってのも髪型から推測したんですかね?
ちょっとわからないですが。

でも、わたしはあまり河合さんのことを「情熱的な人」って感じたことはないですけどね。
任務に対する律義さ?はある意味情熱的なのかもしれませんが。
どちらかというと理論的で冷静な人なんじゃないかと思っています。※イメージです




もう1枚、うれしい写真が載っていました。
翻訳本260ページ、「1942年9月に3空の援軍を迎えたころの在ラバウル零戦航空隊の幹部たち」。

台南空の斎藤司令を中心に、幹部、士官搭乗員の人たちが写っています。

同じ写真が『日本海軍戦闘機隊』【戦歴と航空隊史話】にも掲載されていました。
写っている搭乗員たちの顔よりも、横に置いてある現地の人形置物(大事な部分丸出し)に目が行ってしまって困る、って写真です(//∇/)

困りつつもちゃんと見たんですが、なんと!!
2列目右端に写っている河合大尉が氏名不詳者として処理されておりました!
めっちゃ河合大尉やのに。


今回はちゃんと河合大尉と認定されたようで、ホッとしております。



※画像は武田信行氏ご提供

河合四郎大尉の肉声2016年02月27日 17時17分31秒

久しぶりの肉声シリーズ( ̄▽ ̄)

河合四郎大尉の巻。

17年8月4日、台南空。


石川清治さんの手記「ポートモレスビー空爆行」より。

千歳空時代の話。

『腕に覚えのある連中は、黒板の前に集まって分隊長の河合大尉に「私を私を!」と盛んに注文するが、分隊長は、「そんなに一ぺんには上がれんよ、まず俺が上がる」と言って河の字を丸で囲んだ。次に西の上に○印を附された。西沢二飛曹だ』


同じく千歳空。たぶん17年2月3日。
夜の飛行場で夜間空襲に来る敵機を待っていると、この日もやはりやってきました。ブーンブーンと蚊の鳴くような爆音が。

『「来た来た! 分隊長来ました」
と呼ぶが返事がない。
「分隊長、分隊長!」と大声で叫ぶと、指揮所――指揮所といっても携帯天幕を張っただけのものだが――の裏の草藪の中で、
「今野糞しているんだ。西沢先に上がれ」と落ち着いたものだ。西沢二飛曹、喜ぶまいことか一目散にかけて行き、飛行機に跳び乗り離陸していった。しかし暗夜のためか容易に敵機が捕捉できずに降着(夜間空戦は単座機では無理、訓練もしていなかった)』

※西澤さんは1飛曹


河合大尉、冷静な人です。どんな事態に陥っても慌てません。さすが指揮官。





報道班員(画家)の林唯一氏の手記『爆下に描く』(中公文庫)。
17年8月7日のガ島攻撃後の指揮所の様子。

『指揮所の階段を駈け上がってきたのは××飛行長(中島正飛行隊長のこと)である。飛行帽、飛行服と、かきむしるように脱ぎ捨てて、
「いや今日は墜した墜した、何ぼ落としたかしれん」と、その細い髭を伸ばした、痩躯の飛行長は、体とは別人のような元気な高声で、
「散々叩きつけて、もう居なくなったと思って引っ返すと、また後から食い下がって来やがってのう、何ぼ位墜したかい」と言って、後からはいって来たK大尉(河合大尉)に訊く。
K大尉は、腕に分隊長の印を付けた飛行服を脱ぎながら微笑していた。若い艶々しい顔をしていた。従兵がコップに冷たいものを注いで持って来た。
「勘定していられなかったが、二十五六機でしょう」
「おいおい、あんなに墜して、それっぽっちかい」
「それ位でしょう。僕は六機墜した」
二人は冷たいものを、一と息に飲み乾した』


なかなか景気がよいですな。




いや、わたしが「おっ!」と思ったのはそこじゃないです。

2つあるんですが。

1つは文中に書かれた「腕に分隊長の印」、これです。
飛行服の腕に「分隊長の印」をつけていたっていうんです。

どれだ!?
左袖は階級章ですよね?

河合大尉の台南空時代の写真って、飛行服姿があまりないです。
林さんの手記で、攻撃から帰って来たらすぐに脱いでいたからだと判明しました。

河合さんの飛行服姿は、これ(17年11月251空)と、17年9月7日のモレスビー攻撃時、これは台南空翻訳本にも画像が出ています。たしかに左袖に何かついているんですが、大尉の階級章ではないのかな?

あと、『海軍戦記』(映像)の戦果報告シーン、報告する河合大尉の後ろ姿。
YouTubeに「海軍爆撃隊」って名前であがっています、その10分30秒ぐらいから。

戦果が書き込まれた黒板の直後にうつる、整列する後ろ姿の隊員右が河合大尉ですが、左袖にやはり何かついています。階級章じゃないのかな? 白っぽく見えますね。これが「分隊長の印」なのか?

林さんのこの記述を読むまで、わたしは分隊長が飛行服に印をつけていたってことを不覚にも知りませんでした。

ちょっと研究してみたいです。


この映像、河合大尉は何かメモみたいなものを見ながら戦果を報告していて、あまり動きはありません。が、ちょっと頭が動きます。そして最後に一瞬、斎藤司令の方に顔を向けるんですよね。
「河合さんが動いた!!(゚∀゚)」
ってめっちゃ感動しますよ。

残念ながらこの映像に河合さんのお顔はうつっていません。お隣の吉田素網1飛曹(この日河合さんの2番機)も後ろ姿オンリーです。
(他の台南空搭乗員は何人かお顔がうつっています。山下丈二大尉、笹井醇一中尉とか山下佐平飛曹長、坂井三郎1飛曹、西澤廣義1飛曹、太田敏夫1飛曹、木村裕3飛曹などなど)




話を元に戻します。

「おっ!」となったもう1つの記述。

「僕は六機墜した」


何度も言いますが、「六機」と盛っていることに驚いたんじゃありません。

「へー、中島少佐と話をするときに一人称『僕』だったのかー」
↑ここです(^^;)

「貴様と俺」というぐらいだから、同輩や後輩と話すときは「俺」のイメージ。
(部下に対しては河合さんも「俺」と言っています)
でも、上官や先輩と話すときは「わたし」かな?と思っていました。勝手に。
河合さんは「僕」なんだー(*'▽')

わたしの周辺に自分のことを「僕」って言う人、二人しかいません。
偶然だと思うのですが、二人とも大学教員です。

元海軍さんは「俺」か「わたし」が多いような気がします。たまに「わし」(笑)
「僕」と言われる人もいるかもしれませんが、わたしはいままで気づかなかったです。


というわけで、ちょっとこの河合さんの「僕」は「おっ!」と思ってしまいました。

ま、林さんが聞きとったことを正確に記述されたかどうかはわかりませんけどね(^^;)






肉声ついでに直筆も。


これは西澤さんが台南空時代にマラリアで入院したときに、士官搭乗員から贈られたという日の丸の寄せ書き。
ことばを寄せているメンバーから、9月の前半に書かれたものではないかとわたしは考えています(9月13日に戦死した高塚飛曹長のお名前がある)。

みなさん、病床に伏している西澤さんにいろいろとことばを寄せて署名されています。
たとえば高塚飛曹長は「無」、斎藤司令は「至誠」←どういうつもりでこれらのことばを書かれたのかなあ、と考えると、これはこれで興味深い研究対象ではあります


河合さんは、

「分隊長 河合四郎」

のみ。

これだけで、

「西澤、早くよくなって戦線に復帰しろよ」

というプレッシャーをかけるとはさすが分隊長・河合四郎大尉。

ちなみに中島さんも、「飛行隊長 中島正」でプレッシャーをかけています。


こういうところから、河合さんは情熱的な人というより、あっさりさっぱりした人だったんじゃないかなあと、勝手に思い描いているわけです。
筆跡もね、なんか見ているだけで落ち着く筆跡ですよね。 ※あくまで個人の感想です


河合さんが松岡修造さんばりの情熱家だったら、きっと、
「元気!!  河合大尉」
とか書くと思うんですよね、もっと熱い筆跡で。

んー、書かないか(・ω・)







あと、先述の林唯一さんの手記に、

『指揮所の手摺に黒板を立てかけて、K大尉が戦闘記録をとっていた。搭乗機名、撃墜機の機種、機数、味方機の故障個所などが赤、白の数字や記号で一ぱいに書きつけられていた。
「お前は何機墜した?」
「グラマン一機、P四○一機」
「お前は?」
「グラマン三機、一機不確実です」』

という記述があるので、もしかしたら、『海軍戦記』の戦果報告の黒板も、河合大尉が書かれたものかもしれません。


※画像は武田信行氏ご提供