乙9期 森浦東洋男さん ― 2016年02月25日 08時34分15秒
森浦さんって台南空の搭乗員なのですが、9月初に1空から転勤してきて(台南空翻訳本による)、10月25日に戦死されているので、8月4日集合写真にも、11月集合写真にも写っていません。
『日本海軍戦闘機隊2』【エース列伝】には、台南空8月4日集合写真の森浦さんという写真が出ているのですが、あれは山崎市郎平さんです。
熊本出身、戦闘機。
エース列伝によると、大正11年11月20日生まれだとか。
『日本海軍戦闘機隊2』【エース列伝】には、台南空8月4日集合写真の森浦さんという写真が出ているのですが、あれは山崎市郎平さんです。
熊本出身、戦闘機。
エース列伝によると、大正11年11月20日生まれだとか。
【氏名入り班写真】
2班です。
【東京行軍】
【熊本県集合写真】
【大楠山慰安行軍】
これも大楠山かな?
お弁当中。
【辻堂演習】
【辻堂演習】
【2班写真】
霞ヶ浦
【操偵適性検査】
【操偵適性検査】
【熊本県宴会】
8期生の送別会だそうで@土浦旅館
森浦さんはスイカいっとります。
上手そうに食っとります。
熊本県観光大使やれます。
【香取神宮】
森浦さんはスイカいっとります。
上手そうに食っとります。
熊本県観光大使やれます。
【香取神宮】
桟橋にて
【操縦専修生集合写真】
【操縦専修生集合写真】
2空
【熊本県9期集合写真】
【熊本県9期集合写真】
2空
【ラグビー部集合写真】
【ラグビー部集合写真】
【整備実習】
【ラグビー優勝記念】
【操縦専修生集合写真】
1空
卒業時の寄せ書き
豪快な伝説と違って、繊細そうな文字です。
【飛練・筑波】
【飛練・筑波】
大正谷宗市さん、亀山一郎さん、山口浜茂さんと4人のペア写真があります。
こちらは全員の集合写真。
【飛練・大村】
【飛練・大村】
中攻操縦に進まれたので大村で実用機やっています。
ジョンベラに善行章付きの写真はめずらしいので出しておきます。
(16年6月~9月)
【飛練大型機講習・木更津】
ジョンベラに善行章付きの写真はめずらしいので出しておきます。
(16年6月~9月)
【飛練大型機講習・木更津】
この後、おそらく出水にて戦闘機転科。
「おもいで」
ラグビー部でしかも暴れん坊の異名があったと思う。霞空に移転してすぐバットを持って甲飛に殴り込みをかけたのでみな覚えていると思う。十六年暮~十七年二月まで一緒だった。下宿の押し入れはビールの空き瓶の山であったね。
予科練の時机が一つ前、キカヌ気の君にはよく困らされたが、十七年ラバウルでガ島攻撃から帰ってからお互いに戦果を話し合った。飛行機不足に加えて長距離の攻撃で疲れたが、ファイトはあった。九期の名物男森浦君。
タンクのごとき君いまいづこ。
短気で、ケンカ早いことはナンバーワン、ラグビーでも、ファイト満々。
本間猛さんは手記で「無法松の東洋男」と書いています。
てっきり任侠系の人かと思っていたのですが(←外見)、ちょっとイメージ違いました。
予科練時代の森浦さんといえば、忘れてはならないのが『空の少年兵』。
あの記録映像に、何かの授業で教科書を音読する森浦さんが収録されています。
「無法松の東洋男」っぽくないかわいい声です。
同期の北村彰男さんが倉町先生に語った森浦さんのこと(『予科練外史』)。
北村彰男さん。中攻偵察。
「マー シャルのタロア基地の滑走路で、二人で呑みました。准士官室から酒を一升貰って来て、湯呑みでやりました。月がいい夜でした。滑走路のコンクリートの上に 腰を下ろして、タマネギに味噌をつけて、それが肴です。森浦は張り切っていました。戦闘さえしていればご機嫌な彼でした。『今度は墜として来るぞ。』と意 気旺んでした。九月の末頃のことで、私は防暑服、彼は飛行服、零戦乗りはいつも待機の構えです。その夜は蚊が多くて脅威でした。『これで五機目だわい』な どと言いながら、蚊をベタベタ落していたのが忘れられません」
台南空転勤直前の思い出のようです。
「九月の末頃」と書いてありますが、森浦さんは9月5日に台南空でガ島攻撃に出ているので、「8月末」の話ではないかと思っています。
同じく『予科練外史』で北村さんが倉町先生に語っている森浦さんの最期(17年10月25日)。
北村さんは「(森浦さんと)一緒に出撃した同年兵」に聞いたということになっています。
『ガ ダルに近づくやいなや高度三、○○○付近に五機のグラマン戦闘機を発見した。味方戦闘機の高度は四、○○○。この時、味方の上空約一、○○○に敵グラマン 三機。一、二番機はこれを認めたが、三番機の森浦は気づかず、下の五機編隊に向かった。戦場は次第にガ島上空に移り、熾烈な空戦の後一機を撃墜、続いて他 の一機を追って降下、その時、上空で一、二番機と空戦していた敵が、森浦に追躡し始めたのに、彼は尚も前方の敵を追撃して行く。断雲に見え隠れしながら後 方の敵は森浦機を追うことをやめない。僚機は、これを視認するが如何ともしがたく、森浦機を見失った。森浦はそのまま還らず、「行方不明」と記されている が、その最期は壮烈な自爆だろうと誰もが信じている』
当日の編制は、
大野竹好 中尉
矢沢弥一 2飛曹
森浦東洋男 3飛曹
安井孝三郎 1飛曹
高橋茂 2飛曹
岡野博 3飛曹
ガ島上空にいたのがこの時間帯。1200~1350。
こ の日は3空(ガ島上空0745~0925 以下同じ)も2空・751空(0845~1000)も6空(0550~0710、1415~1445)も台南空 の山下飛曹長中隊(1035~1105)もガ島攻撃に出ているのですが、時間的に考えたらそのとき戦闘機はこの6人しかいなかったのではないかと思いま す。
目撃者が戦闘機搭乗員だとしたら・・・・。
「一緒に出撃した同年兵」というのは限られるわけで。
13年(操練54期)の岡野さんでしょうか。
「マー シャルのタロア基地の滑走路で、二人で呑みました。准士官室から酒を一升貰って来て、湯呑みでやりました。月がいい夜でした。滑走路のコンクリートの上に 腰を下ろして、タマネギに味噌をつけて、それが肴です。森浦は張り切っていました。戦闘さえしていればご機嫌な彼でした。『今度は墜として来るぞ。』と意 気旺んでした。九月の末頃のことで、私は防暑服、彼は飛行服、零戦乗りはいつも待機の構えです。その夜は蚊が多くて脅威でした。『これで五機目だわい』な どと言いながら、蚊をベタベタ落していたのが忘れられません」
台南空転勤直前の思い出のようです。
「九月の末頃」と書いてありますが、森浦さんは9月5日に台南空でガ島攻撃に出ているので、「8月末」の話ではないかと思っています。
同じく『予科練外史』で北村さんが倉町先生に語っている森浦さんの最期(17年10月25日)。
北村さんは「(森浦さんと)一緒に出撃した同年兵」に聞いたということになっています。
『ガ ダルに近づくやいなや高度三、○○○付近に五機のグラマン戦闘機を発見した。味方戦闘機の高度は四、○○○。この時、味方の上空約一、○○○に敵グラマン 三機。一、二番機はこれを認めたが、三番機の森浦は気づかず、下の五機編隊に向かった。戦場は次第にガ島上空に移り、熾烈な空戦の後一機を撃墜、続いて他 の一機を追って降下、その時、上空で一、二番機と空戦していた敵が、森浦に追躡し始めたのに、彼は尚も前方の敵を追撃して行く。断雲に見え隠れしながら後 方の敵は森浦機を追うことをやめない。僚機は、これを視認するが如何ともしがたく、森浦機を見失った。森浦はそのまま還らず、「行方不明」と記されている が、その最期は壮烈な自爆だろうと誰もが信じている』
当日の編制は、
大野竹好 中尉
矢沢弥一 2飛曹
森浦東洋男 3飛曹
安井孝三郎 1飛曹
高橋茂 2飛曹
岡野博 3飛曹
ガ島上空にいたのがこの時間帯。1200~1350。
こ の日は3空(ガ島上空0745~0925 以下同じ)も2空・751空(0845~1000)も6空(0550~0710、1415~1445)も台南空 の山下飛曹長中隊(1035~1105)もガ島攻撃に出ているのですが、時間的に考えたらそのとき戦闘機はこの6人しかいなかったのではないかと思いま す。
目撃者が戦闘機搭乗員だとしたら・・・・。
「一緒に出撃した同年兵」というのは限られるわけで。
13年(操練54期)の岡野さんでしょうか。
岡野博さん
岡野さんと北村さんはいったいどこで接点があったのかな?
752空だろうか?
17年11月以降に顔を合わせたことがあったのかな?
矢沢さん(甲5)も高橋さん(甲5)も岡野さんと一緒に752空に転勤されたようですが、「同年兵」という条件から外れますからね・・・・。
やっぱり岡野さんかな。
それとも中攻の搭乗員だったりするのかな?
17年10月25日 台南空 ガダルカナル島
※画像は9期生ご遺族ご提供
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