Google
WWWを検索 ひねもすを検索

最近のいろいろ2015年11月20日 09時59分17秒

ここ何日か、クランツ食べながらヒトが書いた原稿読んでいます。

あ、そうそう。
冷蔵したユーハイムのクランツですが。
まわりのバタークリームも、スポンジも、たしかにかたくなりましたが、まったく問題ありません!
別にカチカチになったとか、パサパサになったとか、そういうことはまったくなく。
むしろ、わたしは冷蔵したほうの食感が好き(*´▽`*)
てなわけで、次回からは買って来たら即冷蔵庫行きでーす♪



原稿の話に戻ります。
ヒトの書いた文章を読むのは勉強になります。
「この表現、おもしろいな」
とか、
「自分ならこう書く」
とか。

この原稿だけでなく、最近ちょっと頼まれてヒトの文章を何本か読んだんですが。
チェックする係です。
要はあらさがししとるんですが(笑)
ヒトの文章のあらさがしはできるのに、どうして自分の文章はまともに書けないのだろうか・・・・(=_=)


自分ではまともな文章かけないのに、ヒトの文章のチェックなんかできるんか?

と思われるでしょう?

できるんですよ。

自分ができるかできないかということと、ヒトのことを指摘するのはまったく別です。
自分では泳げないのに、春海の泳ぎのまずいところはよくわかるのと一緒です(笑)
すぐれたスポーツ選手が、必ずしもすぐれた指導者になれるわけではないということの逆バージョンですかね(ホンマかよ(-ω-))


まあ、とにかく、自分で書けって言われたら書けないけど、ヒトには「こう書いた方がいいんじゃないか」とか「ここおかしい」という指摘をすることはできるんです。

不思議です(・ω・)






9期生のことでも、頭の中には書きたいことが渦巻いているのに、いざ書こうとするとうまく文章にできず、写真だけ出して終わり――――とか。多いですよね、最近。

別にわたしは文章を書いて稼いでいるわけでもないので、ヒトから「おおっ!」って言われるような文章を書く必要はないのでしょうが・・・・。
いちおう、読んでくれている人たちに対して申し訳ない気持ちは持っています、常々。

わけ、わからんだろうな(^^;)

みたいな?


自分の中では言いたいことがあるんですよ、ちゃんと。
でも、うまく文章にできず、何となく流れにまかせ、読んでいる人側に理解を丸投げしているようなところがありますよね。

あ、また意味のわからない文章を書いてしまった(>_<)







タイトルが「最近のいろいろ」なので、いろいろ取り留めなく書きますが。

先日、いつもお世話になっている戦史人物経歴研究家Kさんが、横須賀鎮守府の辞令公報の一部を見せてくださったんですよ。
9期生が上飛曹に進級したときのものです。
かれらは18年11月1日に上飛曹に進級しています。同じ日付けで、5か月遅れの後輩・乙10期生たちも上飛曹に進級しています。とうとう追いつかれちゃった(^^;)

そこはどうでもいいんです。前からわかっていたことですから。

その辞令公報を見てびっくりしたことが2つありまして。

ひとつは、名簿の中に野口義徳さんのお名前があったことです。
野口さんは18年10月29日のラバウルの邀撃戦で戦死されているんですよね・・・・。
当日は未帰還というか、行方不明だったみたいですが。

当時ラバウルにいた倉町先生によると翌30日「野口の遺骸が火山の麓で見つかった」。

翌月1日は上飛曹進級のはずだったんです。
辞令公報ではそのまま上飛曹になっていました。
後日、11月1日の上飛曹進級は取り消されて、10月29日付で「上飛曹」進級になっているのでしょうけど・・・・。
なんだかこの公報を見て悲しくなってしまいました。

たぶん、野口さんだけではなく、こういうことはいろんな人のところで起こっているんですよね。





同じ辞令公報に、もう一か所、「おお! なんだこれは!?」ってのがありました。

乙飛出身の上飛曹進級者の先頭は、本来9期横須賀の兵籍番号の一番少ない人(18年11月1日時点、このときは西村徳恵さん)から始まるはずなのに、西村さんの前にもうお一人お名前がありました。

「だれだ、これ?」

9期の横須賀の先頭の人は兵籍番号が900番台から始まっているんですが、その人は600番台だったんですよ。

調べたら8期の人でした。

もしかしたら、この人が、例の、偵察専修生の中で進級が遅れている8期生らしき人ではないのか!?

あるいは、鈴鹿から登場するこの人、
じゃないのか、と思ったんですが。

Kさんに話したら、

「(辞令公報に名前がある人は)自分の方では艦爆操縦の人ですよ」

とのことで。


操縦にも8期生らしき人たちは写っているんです。この3人です。
※左・大村、右・木更津
谷田部飛練写真から一緒に写っています。

大村写真から登場。

大村写真から登場。

中攻操縦なので、このあと艦爆に転科した可能性は捨てきれません。

しかし、この3名さんたちは↑この時点で進級は遅れていません(左の写真のとき9期はまだ1飛)。

辞令公報にお名前があった人、どの時点で進級が遅れたのかいまのところわかりません。

はて? 9期と一緒に上飛曹になった8期生はこの中にいるんだろうか?





それから。

この話は別に書かんでもいいんですが、誰かにぶちまけたい気持ちも無きにしも非ず・・・・(笑)
だからといって、全世界公開のブログでぶちまけんでもいいような気もしますが。


なんかねー、わたしのことを「予科練生の写真収集家」と思っている人がいるみたいなんですよね。

肩書と言えば、自称として「海軍搭乗員宴会研究家」とか「海軍搭乗員下宿研究家」とか「海軍搭乗員救命胴衣股間紐研究家」を目指しているところがあり、他称としては「歴女」とか「零戦好きのおばさん」とか、ちょっと違うけどまあそれぐらいなら抗議もしないって程度のものなどあるんですが。

さすがに「予科練生写真収集家」っていわれたら心外です。

冗談ではなくて。

このブログを見てそう思われたのだとしたら、わたしの不徳ゆえなんでしょうけど。

どうしてへこんだかわかります?


収集家を見下しているとかそういう話ではないんです。
収集することに意義があることだってもちろんあるでしょう。

でもね。


いや、やっぱりいいです。
ここを見て、そう感じられたとしたら、ホントに自分の表現力のまずさゆえ、反省しなければならないのは自分です。