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乙9期 藤原国雄さん2015年05月23日 22時58分39秒

連休中に連絡をいただいたもうお一人の9期生というのは、偵察の藤原国雄さんです。


藤原さんといえば、2年前だったか3年前だったか、8月末ごろ、藤原さんのことを検索している人がいるのに気付いて、自分でも調べようとしたことがありました。

が、神野正美さんの『台湾沖航空戦』の巻末の編制表でお名前を見つけただけで(表には「偵練」と書いてありますが、9期の藤原さん)、お顔もわからないままいまに至っていました。




連絡をくださったご遺族の方からみて、藤原さんは大叔父に当たるそうです。
ご実家に行かれて写真を探してきてくださいました。

連休のときにも遺影を一枚送っていただいていたのですが、その写真ではピンと来ていませんでした。
が、今日送っていただいた写真を見て、

「あー」

と、すぐに藤原さんがわかりました。



長野出身。偵察。

【東京行軍】



【香取神宮】


水泳写真にも写っています。


1学年時前の分隊、偵察専修生ということで、手元にある写真にはあまり写っていませんでした。

ご遺族の方から送っていただいた写真を・・・・。



階級章ナシ、一種なのでおそらく予科練入隊直後ではないかと。
13年6月。




操偵適性検査(14年5月、6月)の5班集合写真。
この写真に関してはまた後ほど・・・・。


同じ操偵適性検査時の個人写真だと思われます。


そして、操偵適性検査前分隊の集合写真。
9期の卒業アルバムにも印刷状態で掲載されているのですが、よくよく見るとビミョーに違います。
大体の立ち位置は同じですが、あっちで座っていた人がこっちで立っていたり、あっちで立っていた人がこっちで座っていたり。



藤原さんの階級章は見えないのですが、一緒に写っている人が2等航空兵。ペンネントは不鮮明でわかりません。
一緒に写っている人は偵察の人かな? ちょっとどなたかわからないです。



艦務実習ですね。
15年3月~4月。
ペンネントは「大日本軍艦山城」。坂田さんと一緒です。
背景がいかにも南方っぽいので、途中でどこかに上陸したときのものでしょうか。
かれらはこのときの実習で支那事変従軍記章をもらっています。




小船井写真館刻印入りです。
真ん中の人の階級章は2等航空兵です。
同期生なのかなあ?
偵察の人を把握できていないので、ちょっと保留。




この写真。
帰省時の家族写真かと思いきや。

「なんか見たことがある・・・・」

と思ったら、藤本久夫さんのアルバムにあったこの写真↓
「我等ノ花園」
同じ場所のようです。

藤原さんのペンネントは「土浦海軍航空隊」。
15年11月15日から30日の卒業までの間の撮影のようです。
卒業式にご家族で参列されたんでしょうか?



実施部隊に出てからの藤原さん。
17年の夏かな?
戦地かな?



実施部隊といえば、送っていただいた履歴によると藤原さんは鹿屋空、高雄空、753空、横須賀空、762空なのですが。

鹿屋空時代、先述の今村文三郎さんとペアで索敵に出ている記録がありました。
今村さんが副操で、藤原さんがメインの電信員。
17年4月19日木更津基地から。
B17の東京空襲の翌日ですね。
その直後の4月22日もペアで任務に出ています。

同じ隊に同期生がいるだけでも心強いと思います。ましてや同じ飛行機に同期生がいるって、ねえ。



藤原さんは卒業の寄せ書きにお名前はないのですが、ご遺族のもとに自筆の「遺書」が残されています。
日付がないのでよくわからないのですが、内容から察するとどうも高雄空転勤が決まったときに書いた「遺書」のようです。家族やお世話になった人たちに対する気遣いや感謝の気持ちが書かれています。
この遺書に関してはもう少し調べたいことがあるのでまた今度。


他に、『予科練外史』(倉町秋次)に9期中攻偵察員たちに書いてもらった「九期留魂録」のことが書かれていて、藤原さんの自筆のことばが画像で掲載されています。

「先輩の後につゞかん  藤原国雄」






19年10月13日  762空攻撃708  台湾東方沖


長井彊大尉の隊です。
直協隊指揮官・柴田鏡大尉機の主偵察員です。




※画像は藤原さんご遺族、9期生ご遺族、藤本久夫さんご遺族ご提供