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9期生の年齢2015年04月13日 09時38分04秒

羽藤さんのことを書いたときに、9期生は、
「12年生まれが多いような印象」
と、イメージで語ってしまい反省したので、表にしてみました。

わかっている人だけ。※生年、大正です。

スイマセン、11年が多かった!(;^ω^)

この中で、遠藤桝秋さんの下の伏せている人(Aさんとしましょう)は事情があってお名前出せません。
Aさんは出身地の町史に書簡や日記が掲載されています。そこに予科練に入る前年(?)に「17歳」だったと書かれています。満か数えかもわかりません。
9年か10年の早いところで生まれているんじゃないかと想像しています。

11年生まれの池田さんと亀山さん、12年生まれの森田勝さんは生年しかわかりません。
他の人は誕生順に並んでいます。

羽藤さんは、現時点で誕生日が判明している中では真ん中ぐらいですね(^^;)

大正11年生まれの羽藤さんが昭和12年3月に高等小学校を卒業しているので、想像するに、大正9~11年生まれの人は高等小学校卒後短期間ではあるけど働いていたか、中学や各種学校の途中から入ったかしているんじゃないと・・・・。





石川茂さんの家で見せてもらった資料の中に、予科練入隊前のこんな資料がありました。
志願兵検査に合格し、予科練に採用されたという通知書みたいでした。その裏書。

これがいつ時点での年齢なのか、満なのか数えなのかわからなかったので、いつも教えてもらっている戦史人物経歴研究家さんに聞いてみました。


「入隊年の12月1日時点」で「満15歳以上、満18歳未満」だそうです。

昭和13年6月1日入隊の9期の場合、「昭和13年12月1日時点で満15歳以上満18歳未満」ということにあり、誕生日でいうと大正9年12月2日~大正12年12月1日ってことになるんでしょうかね。  ←こういうの苦手(^^;)
10期も同じ13年入隊(11月1日)なので年齢条件は一緒ということになります。

※事実確認はできていませんが、10期生同期生会誌には、
『(入隊)当時、予科練習部には八期生の他に前記の如く、十期生と同時に合格採用となり、五か月早く入隊していた九期生が先輩としており、この九期生は年令は十期生より平均的にわかかっため・・・・』
という記述があります。
10期で誕生日を把握しているのがホリブン(大正10年3月)、久保さん(大正11年10月)だけなのでこれに関してはなんとも・・・・。






遠藤桝秋さんが大正9年12月20日生まれらしいので、9期10期の中では早い方でしょう。

現時点で最年少は大正12年9月の南弘明さんですが、12月1日までならまだほかにも何人もいそうです。



ということは、終戦時でも最年長で24歳、最年少では21歳ってことですか・・・・。




※誕生日は『日本海軍戦闘機隊』【エース列伝】、『日本陸海軍航空英雄列伝』、海軍の履歴、ご遺族の方、戦史人物経歴研究家さんご教示、手記や書簡集を参考にしました

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