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飛練10期 艦爆操縦2015年03月28日 17時16分56秒

飛練16期(乙10期)をこの形で出したので、飛練10期(乙9期)もこの形で出しておこうと思います。

飛練10期は最初に機種わけしたあとで、転科者を多く出しています。
これは最初の機種わけということで。


飛練10期艦爆専修生10名は宇佐で艦爆の操縦訓練をやった後、全員がのちに他機種に転科しています。

阿部健市さん
→戦闘機
戦後生存


井原大三さん
→戦闘機
17年8月26日  2空  ブナ


遠藤桝秋さん
→戦闘機
18年6月7日   251空  ルッセル島


大石芳男さん
→戦闘機
20年5月4日  205空  神風特別攻撃隊第十七大義隊  宮古島南方海域


大西要四三さん
→戦闘機
17年7月20日  千歳空  ラエ―ラバウル悪天候


中野鈔さん
→戦闘機
17年8月26日  台南空  ニューギニア


西山昇さん
→中攻
17年11月11日 705空  ソロモン


松本佐市さん
戦後生存


森田守さん
→戦闘機
19年6月19日   601空  マリアナ沖


山下栄松さん
戦後生存


上は五十音順のつもりです。
宇佐時代の成績順も残っているんですけどね。ちなみに1番は森田守さんです。



宇佐空の資料によると戦闘機への転科教育は出水でやったそうです。

と、と、ところがですね(^^;)

井原さんの履歴によると、飛練卒業後の16年10月30日付で「佐世保海軍航空隊附を命ず」なんですよ。翌年2月5日まで。
「出水」なんてひとことも出てきません。

おかしいな、と思っていたのですが、もしかして当時は佐世保海軍航空隊・出水分遣隊なのか?(^^;)

大石さんの「おもいで」に阿部さんが、
「筑波空では一時同ペアで共に励んだ後、宇佐空延長教育同期十名と五か月間続いて、出水空講習員へ三か月、君との交際は長い」
と書いています。

遠藤さんへの「おもいで」にも阿部さんは、
「予科練、延長教育、講習員と戦地へ出発するまで一緒だった」
と書いているので遠藤さんも出水なんでしょう。

大石さん、遠藤さん、阿部さんは転科教育は「出水」と。

宇佐の資料にも飛練10期艦爆操縦専修生は「自16.6.1 至16.10.30  16.11.1 出水ニテfc教育」と書いてあるんで、そうなのかな?

井原さんも出水なんでしょうね。



艦爆専修生に関する記述ではひとつ気になる記述があって。「おもいで」です。
中村栄松さんが紺野高司さん(中攻から戦闘機に転科)への「おもいで」に、
「大村空飛練で一緒だった。たまの外出に遠藤・大石等もよく一緒に歩いた」
と書いています。

この「大村空飛練」の意味がわからない。
紺野さんには「大村空飛練」時代があると思います。中攻操縦専修生はまず大村で艦攻での操縦訓練をやっているので(16年6月~8月いっぱいかな?)。

その間、中村さんも遠藤さんも大石さんも宇佐のはず。一時的な出張訓練はあったかもしれませんが、艦爆専修生たちが「たまの外出に」というほど長期に大村にいた期間があったのだろうか?

最初読んだときは、戦闘機転科教育を出水と大村で別れてやったのかなとも思ったのですが、遠藤さん・大石さんの転科教育は出水だから違うよなー。

宇佐の受け入れの関係で、一時的に大村でお世話になっていたのかな?



スイマセン、ひとりでぶつぶつ言うてます・・・・。



※画像は9期生ご遺族ご提供

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