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乙10期 今田敏男さん2015年03月21日 16時37分34秒

今日はちょっと特別。

陸上機操縦を中攻まで出してしまったその勢いで、
「操縦専修生-陸上機操縦=水上機操縦」
やってしまえーーーー!

と「乙10期 水上機操縦」をここに書きかけていたのですが、やっている途中で今田敏男さんに引っ掛かってしまって、無性に出したくなったので出します。


引っ掛かった、って別に何か不明なことがあって引っ掛かっていたわけではありません。

今田さんの氏名入り班写真はわりと鮮明でわかりやすい状態でした。



予科練入隊時、前の分隊集合写真



2学年時班集合写真



1万メートル集合写真






いずれも操縦分隊の集合写真です。

小柄な人で、すごく子どもっぽいかわいい顔をしています。




今日、『日本海軍戦闘機隊』【戦歴と航空隊史話】を見ていたら、今田さんが写っている写真が2枚ありました。いずれも934空水戦隊時代の少人数の集合写真。

あと、『南海の海鷲たち 南西方面の日本海軍航空隊』にも934空時代の少人数集合写真が出ていました。『日本海軍戦闘機隊』に出ていた写真と同じときの撮影かな? 
搭乗員は同じ並びですが、向こうは笑み崩れていて、こっちは真面目な顔で写っています。


実施部隊に出ても相変わらずかわいらしい子どもみたいな顔で写っていました。
予科練時代かわいいなーって顔をした人でも、実施部隊に出るとけっこうそれなりの貫録をつけている人が多いのですが。今田さんはあまり変わっていませんでした。
なーんか涙出ちゃって。

予科練の集合写真とにらめっこしているうちに感情移入してしまっているんでしょうね。
実施部隊の写真を見つけると、成長著しくても、変わっていなくても、なんだかたまらなくなってしまいます。





香川県出身なのでしょうか。

水上機から戦闘機に転科。
『南海の海鷲たち』によると、934空の水戦隊から381空零戦隊にまとめて移ったうちのお一人のようです。


『十九年一月、「ビマ」基地で会ったな。貴様は零戦三機を引き連れて、船団の上空直衛をやっていた。
三八一空のビマ派遣指揮官だった』

『忘れることの出来ない友です。入隊から実用機卒業まで兄弟のように行動を共にしました。尊敬すべき立派な人間として、終生忘れ得ません。おとなしく、目立たない存在だったが、努力型の秀才で、級では模範生であった。共に鹿島、博多で水上機専攻、操縦技術抜群の君でした。緻密な神経、適格な判断力、舌を巻いたものでした。ソロモン群島ショートランドで再会。ガダルカナル救援船団の上空直衛の折だった。敵潜水艦を沈めた手柄話を聞き、君ならばと感心した』



20年2月9日  381空  ボルネオ


※画像は久保伊勢市氏ご提供

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