飛練10期 大村航空隊 中攻操縦専修生 半分 ― 2014年12月23日 14時22分13秒
池田さんのアルバムにあった集合写真です。
説明はありませんでしたが、写っている顔ぶれから、飛練10期大村航空隊の中攻操縦専修生の半分――と判断しました。16年夏でしょう。
写っているメンバーの詳細はまた今度。
今日は、この「場所」です。
愛媛に行く前からこの場所を探していました。
そして、愛媛に行く当日の午前中にやっと見つけました。
長崎の諏訪神社です。
簡単に書いていますがめっちゃ時間がかかりました。
まず引っ掛かったのが幕や提灯にある十六八重菊紋。
ここから神社・神宮探し。
メンバーは大村空飛練10期に間違いないのだから、長崎→九州→西日本とネットで神社や画像検索、調べて行きました。
さらに神社本庁や地方の神社庁などに問い合わせ。
結局、菊紋からはたどり着けませんでした。
「なら檜皮葺はどうだ!?」
「破風の屋根はどうだ!?」
「両サイドの透かし塀はどうだ!?」
「脚がついたような扁額はどうだ!?」
思いつく限りの検索・問い合わせをしましたがまったく画像もヒットせず手がかりもなし。
愛媛行きの朝。
なぜか突然、
「松本勝正さんの手紙に何か書いてなかったかなあ?」
と思い浮かび見直してみたところ、大村時代に「長崎行軍」に行ったという記述発見。
「やっぱり長崎に絞ろう」
思い直しました。
長崎だったら原爆で被爆して現存しない可能性もあると思い、「長崎 古写真」で検索たところ、やっと見つけました。
見つけた画像は「長崎 諏訪神社 中門」で出ると思います。
ネットで見つけた2013年の朝日新聞・長崎今昔という記事によると――
この中門、1869年に再建され、1983年の御鎮座360年の大改修でなくなったそうです。
木造檜皮葺、流れ破風造りの屋根。
「正一位諏訪三所」の額が掲げられていたそうです。「三」だけは読めていたんだけどなー(^^;)
原爆ではなく、30年ほど前に改修でなくなったとか。
画像検索してもヒットしなかったのは現存しなかったからか・・・・。
残念・・・・。
大村空の「長崎行軍」ですが。
18年に大村で教員をされていた久保さんに長崎行軍をやったか聞いてみましたが、戦争で行軍どころではなかった、一度もない、とのことでした。
※画像は池田さんご遺族ご提供
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