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坂田清一さんのこと2014年10月30日 15時53分46秒

9期の坂田清一さん。新潟出身の艦爆偵察員です。



先日、姪御さんから連絡をいただきました。
お父さまが清一さんの弟さんだとか。

いや、もうびっくりしました。

二番目のお兄さんが偶然わたしのブログを見つけてくださったとか。

聞くところによると、戦後火災にあったとかで、清一さんにつながるものが何もないとのこと。
(一種軍装の遺影が1枚のみだそうです)

ブログに出していた写真を、たいへん喜んでくださっていました。


その後いろいろあって(省略)、昨日、弟さんご夫妻とその息子さん(一番上のお兄さん)にお目にかかって来ました。

弟さん、清一さんに似ていました。
待ち合わせに、弟さんが清一さんの写真を持って待っています、とのことだったのですが。
弟さんを一目見ただけでわかりました、ハイ(^_^)


清一さんは大正12年生まれ、ご長男でした。
弟さんは昭和14年生まれ。生まれときは、すでに清一さんは予科練入隊後。
何も覚えてない、とのことでした。

戦争が始まってからは、ほとんど家にも戻らなかったのかな・・・・。

弟さんのお話では、帰省しようとしたときに洪水が発生して鉄道が不通に。迂回して帰ろうにも、そちらも不通になっていたらしく、結局あきらめて隊に戻った――それがたぶん最後になったようだ――とご両親がお話されていたそうです。


小瀬本さんの手記も昔読まれたそうです。
そこに坂田さんのことを「金坊」と呼んでいたと出ていますが、弟さんも「金坊」には身に覚えがあるそうです(笑)

羽藤さんの「ぽっぽ」と同じで、姓の連想でつけられちゃう定番愛称のようです(^^;)




坂田さんに関しては一度書いたのですが、今回連絡をいただいたのを機に、攻撃隊の権威である戦史研究家・Yさん(いまさらイニシャル・・・・)に問い合わせてみたところ、わたしが知らなかった坂田さんのことをたっくさんご教示くださいました。

坂田さん、19年の暮れごろから、特攻に関わっていたようです。
それもあって、弟さんから聞いた「帰って来ようとしたけど洪水のために帰って来れなかった」って話がいつの話なのかとても気になりました。
なんというか・・・・ね。


そのことも併せて、近々書き直さなければ(追加修正)と思っています。



もし、他の9期生のご遺族の方で見てくださっている方がいれば、連絡いただければと思います。

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