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乙9期 伊藤誠一さん2014年09月30日 18時29分25秒

ずいぶん前に知人から、
「ママさん、予科練生好きでしょう?」
って言われたことがあります。
否定しておきました。

それから、別の知人からは、
「ママさん、乙飛生好きでしょう?」
って言われたこともあります。
それも否定しておきました。

先日、これも別の知人から、
「ママさん、Eさんのこと好きでしょう?」
って言われました。
「そんなことないです」
と否定しておきました。

ま、この話は上の2つとはちょっと違う意味で否定したのですが。




伊藤誠一さん。
静岡出身。偵察。中攻。
千歳空、703空、705空、755空。

【東京行軍】



【体操部】


【運動会】


【飛練・鈴鹿】




【静岡県出身者集合写真から】






伊藤さんは1学年時、前の分隊だったようで、写真がほとんどありませんでした。

池田さんの静岡県出身者の集合写真に写っていてやっとお顔がわかりました。
といっても、お名前が書かれていた写真はうつむいていてよくわからなかったんですが(^^;)

石川さんの「体操部」と「運動会」の写真に写っていたのも、最初は伊藤さんだとわかりませんでした。
見ているうちに伊藤さんかなあと。

伊藤さんの写真、他にもあるのですが、ちょっと「?」なので出しませんでした。
そのうちの1枚は中学の制服で池田さんと一緒に写っています。
地区的に同じ中学ってことはないだろう、と思って調べたのですが・・・・。興味深いことがわかりました。
ま、この写真に関しては現時点では「伊藤さんかどうかわかりません」としか言えません。







伊藤さんは17年10月21日、ウェーク島から哨戒に出て行方不明になっています。
帰投装置と電信装置の故障のため、乗機は海上で迷子、そして不時着水。全員が救命筏で4日間漂流。たまたま通りかかった補給船に救助されて生還しています。
そのときの体験を、予科練の倉町先生に話しています(『予科練外史』)。

第1のピンチ
不時着水時、衝撃で同年兵が自分の上にのしかかってきていて身動きが取れなかった。
その同年兵は頭をやられたようで動かなかった。
伊藤さん、「ものういようで黙っていた」って言うんですよ。早く逃げなきゃ危ないのに。
水が入ってきた拍子に同年兵が意識をとり戻したために、伊藤さんも脱出。

第2のピンチ
全員無事脱出。救命筏を膨らませて、その筏と共に着水している飛行機の胴体にあぐらをかいて座りこむ。
着水の衝撃でひびが入っていた胴体に8人も乗りこんだものだから、ギギギギギギィ・・・・
ビギビギビギビギ・・・・
「だめだめ」
と思っているうちに胴体が折れて伊藤さんは投げ出されました。見ると下にペラが光っています。
このまま落ちたらペラに激突・・・・ってところで伊藤さんは反射的に体をひねってペラを避けて落ちました。
伊藤さんは、
「海軍体操のおかげです」
と先生に言っています。
海軍体操――そう、あれです。
9期生にめちゃめちゃ評判が悪かった(笑)
これもいつか書こう書こうと思いながらまだ書いていません。そのうち書きます。海軍体操。
伊藤さんは石川さんが所有していた体操部集合写真にお顔が見えるので、もともと体操は得意だったのでしょう。

第3のピンチ
鱶に狙われる。
救命筏の底を鼻先でこんこんやられたそうです。こわーw( ̄Д ̄;)w
伊藤さん、
「筏の胴体を診察してまわるのです。『いや! また診察に来た!』 いまは笑って話すことができますが、あのときはまったく悲惨でした」
この鱶たちは3日目もついてきていたそう。伊藤さんたちを食おうと思ってついてきていたのでしょう。
「鱶はやはりついてきました。波に乗って。三匹で哨戒しながらポンポンと診察するのです」

第4のピンチ
幻覚。
糧食や水は機体と一緒に海没。
みな、飢えと渇きと戦いながら漂流していました。いえ、正確には漂流ではなく、最初は手漕ぎでルオットを目指していたそうです(250浬東方と推測)。
そのうち疲れたので漕ぐのをやめる。
渇きに耐えかねたペアの一人が、筏の底にたまった小便まじりの水溜りを飲んでしまう。
伊藤さんも幻覚が見えるように・・・・。
「同期生を思い出す。ニタッと笑う。飯を食っていると思うと羊羹を食っている姿になる。しかも士官室で食事をしている」
他にも幻覚が見る人が・・・・。

そのうち、ルオットに向っていた補給船が通りかかり、無事に救助されました。
伊藤さん、救助されたときは「努めて元気な所を見せました」と言っていますが、助けてくれた人が「大変だったなあ」と背中に手を置いた途端、意識を失ったそうです。


「基地に着くと、同期生たちが、一升瓶をかかえたりして大声を出しながら駆け寄って来ました。清田や宮沢や石井雄、川村(幸雄)、佐々木(武治)たちです」

3日捜索して見つからないので絶望視されていたとのこと。このときは無事に生還したのですが・・・・。




おもいで
「いつも小説を読んでいたインテリ。君はハンサムでもあってかつ優秀であった」
「はなやかなニキビが気になり白子の町ではクリームをかなり吟味していたね。本城などと汁粉屋の美人娘にはかなり通ったようだ」





19年4月4日    755空  南洋群島方面


※画像は9期生ご遺族、雄翔館ご提供