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25日のママ2014年05月27日 17時02分21秒

まさかこのできごとを忘れるとは思えないのですが、もう書いておきます(^^;)



ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、25日の慰霊祭にN飛曹長のご遺族の方が参列されていました。

なぜいまさらイニシャルっ!?  ってところはスルーしてください。
特別意味はありません(笑)



ずっと前からN飛曹長の列機になりたかったママですが、ご遺族の方とはいままでまったく縁がなく、今回が初めてでした。

前に画像を出した予科練生の像の前にお供えされた花のうちの一つは、N飛曹長のご遺族の方々からのものです。

わたしはそれを見ただけで胸がいっぱいになりました。

N飛曹長は、土浦の予科練に縁はありません。
横須賀の予科練に入って、横須賀で卒業しています。

が、予科練の倉町先生に、
「戦地に居れば、昨日今日内地からやって来たばかりの後輩でも兄弟以上に懐かしいです。何故かって・・・・。若くして国家のために自分と一緒に死んでくれると思えばです。自分の生命は捨てても、後輩だけは助けてやりたいと思いますね」(『予科練外史』)
と語っていたN飛曹長のご遺族からのお花が、その後輩たちの大多数が巣立った土浦の地に飾られたということに胸いっぱいになってしまいました。





慰霊祭のときに、N飛曹長のご遺族の方が遺族代表としてあいさつされました。

それを聞きながらまたまた胸いっぱいに・・・・。




お花を供えられる妹さんのお姿も遠目に拝見しました。

またまた胸いっぱい・・・・。

血のつながったごきょうだいですから。





慰霊祭の後、N飛曹長のご遺族の方々が主催の海原会の方々と一緒に、予科練生の像の前で記念撮影されていました。

近くまで行ってそのご様子を拝見。

きっと傍から見たらそーとーあやしい人ですよね、わたし(^^;)



長くなりそうなので【つづく】

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