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乙9期 本間秀人さん2014年03月11日 10時07分17秒

本間さんは、藤代さんが手記に載せている15班氏名入り写真のおかげでお顔はわかっていました。


雄翔館にも氏名入りの写真が残っていました。
下士官一種。
ということは16年10月以降。


一緒に写っているのは、
蒲田栄作さん(前左)、鶴見堅三さん(後左)、鈴木俊夫さん(後右)
全員中攻の偵察員です。


長野県出身、偵察、中攻。
高雄空(『予科練外史』)、4空。

【東京行軍】




【大楠山慰安行軍】


【葉山自転車行軍】


【14年紀元節】


【操偵適性検査】




【鈴鹿・偵察飛練】




鈴鹿時代の写真はもう1枚ありまして。
並んでいる練習生の右から2人目が本間さんです。
名札がはっきり読めます。「本間一空」。
敬礼、かっこいいですね。



おもいで
「山ン中出だったけどフジヤマの飛魚、水泳では長距離のナンバーワン」

「君の戦死を清水(たぶん日出夫さん)の母から聞いた。お悔やみの便りは届いたろうか。君の態度、武人の風格があった」

「入隊時同班。謹厳偉丈夫ということばが適切な人格者。物事に動じなかったね。よく一緒に外出したものだったね」

「身ぎれいで几帳面な性格はいつも清潔で折り目の入った事業服を着ていた。隣の班だったが、被服点検のときはなるべく彼から離れて衣嚢を解くように心がけていたよ」



予科練卒業時の寄せ書きに本間さんのお名前はありません。



16年12月末、飛練を終えた中攻の偵察員たちが東海道線でたまたま一緒になった倉町先生に書いた寄せ書き(『予科練外史』)。

全世界の革新と黎明を期す
太平洋の光輝ある捨石になろう
自己の信念に生きられる自己満足した人間になろう  本間秀人


『予科練外史』には、本間さんが高雄空時代に倉町先生に送った手紙の一部も紹介されています。

『―略―  教官にお会いしてからはや一か月、その間、月日を数えたことはなく、勿論、今日は何曜日とか考えたこともありません。
今日も一機、二機、三機・・・次々と飛び立つ僚機。送る者も、送られる者も、今日は帰れるだろうかと思う時に、胸に迫る感情が鼻にジーンとこたえてくる。
「しっかり頼むぞ。無事で帰れよ」
「大丈夫、大丈夫」
と元気よく笑顔で飛び立って行った戦友の面影。南十字星も影薄くなり、そして南の空に機影も消えて、暁は破られてゆく。東の空から基地にも朝がやって来て、椰子林の向こうの海が白く光り始める。攻撃隊はもう大分進んだことだろう。  ―略―』

掲載されている分、全部載せたいぐらいです。
「おもいで」の本間さんしか知らなかったわたしからしたら、「本間さんて、こんな人?」と、新たな驚き・・・・。
戦地からかと疑いたくなるような幻想的な文面です。

倉町先生も、
『飛行服姿に清潔感のただよう彼は、元服したての若武者を偲ばせる少年であった。水泳のうまい謹直な本間がこのような繊細な心の動きを表面に見せたことはなかった』
と書かれています。
先生も意外だったようです。

手紙の封筒の差出人側の画像も掲載されていますが、美しい筆跡です。

 


17年2月20日  4空  ラバウルから敵空母攻撃


※画像は雄翔館、羽藤さん、石川さんご遺族提供

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