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仕事行ってきた2014年01月14日 21時10分17秒

今日、久しぶりに仕事に行ってきました(*´▽`*)
梅田駅で電車に飛び乗ったら、たまたま1000系でした!(・∀・)イエーイ♪

なんかいいことありそうな~♪

でも、車内が静かすぎて横の横のおばちゃんたちの会話をずっと聞かされ、朝から気が滅入りました。
病気の話してるんだもん・・・・(´・ω・`)





お昼は早めに生協に食べに行きました。
何を血迷ったか、550円もする天津飯と餃子のセットを頼んでしまいました。

なんか多くてですねー(^^;)

パパと一緒だったら絶対に、
「パパ食べて」
と渡しているレベル。

何とか完食したのはよいとして、無理が祟ったのかいまだに気持ち悪いです。

おかげで午後は睡魔に襲われることもなく、ムカムカ感と戦いながらの作業でした(泣)




「仕事したど( ̄▽ ̄)」という余裕から、帰りはヨドバシにプラモ見に行きました。
欲しいプラモがあったのですが、値段見て・・・・。
「仕事したど( ̄▽ ̄)」→→→→轟沈(|||▽||| )

よっく検討してみます(^^;)

ちびすけの様子2014年01月15日 14時03分15秒

ちびすけはピンポンパールみたいにパンパンの体になっていますが、機嫌はいいようです。

数日前までは、水槽の底でじーっとしていて、わたしが来たのに気づくと浮いてきてエサを催促する・・・・という状態でしたが、いまは常に水面近くに来て泳いでいます。
わたしを見ると元気よくエサをねだってきます。

でも体があんなになってしまったらもうアカンのやと思います・・・・。

と思いつつ、これからまた水替えします。


昨日は「体パンパン&一か所から膿、一か所腫れ」という状態で置いて仕事に出て行ったのですが、帰って来てみたら、水槽の底に白い塊が2つ転がっていました。

朝は、一か所からは完全に膿がはみ出していて、もう一か所は近いうちに膿が出てくるかな?という感じだったのが、数時間で二つとも体から出きっていました。

回収した膿↓(クリックは自己責任で)


永遠の0 3回目2014年01月15日 17時28分29秒

3回目見てきました。

3回見て、やっと気づきました。

映画をほとんど見ていないってことに!(・∀・)




知人が映画のサントラ盤を買ったという話を聞いて。
「はて? 音楽なんか流れていたっけ?(-_-;)」
思い出そうとしましたが、流れてくる音楽はサザンのエンディングの曲のみ。


今日は自分に課題を与えて見に行きました。
・音楽を聴く
・春海に言われていた「フムナ」
・99艦爆

音楽は、今日は注意して聞いていました。
音楽はわかりました。
「ああ、これのことか」
印象的な音楽でした。
ところが、いま思い返すと、どのシーンで音楽が流れていたのか思い出せないorz
脳がやばいのかしら?





春海に言われていた「フムナ」ですが。

これは大和ミュージアムの零戦です。
主翼のフラップ部分に赤い囲い部分があって、そこに「フムナ」と注意書きがあります。
春海がこれ↑を見て、
「『永遠の0』の搭乗員はここに乗ってたんちゃう?」
と言い出したので、今日はちょっとそれを注意して見ていました。

だれもここは踏んでいませんでした(^_^;)

ちゃんと足かけに足を引っ掛けて、胴体際の狭い部分に乗って操縦席に乗り込んでいました。
あれだけ作り込んであるのに、「フムナ」に乗ってるわけないちゅーの。



99艦爆は。
「映画に99艦爆が出てこなかった(T_T)」
という声が聞こえてきたので、どれどれと。

97艦攻は結構映っていましたね。
たしかに、99艦爆らしきのはわからなかった。
でも、真珠湾のシーンで降ってきた爆弾は、99艦爆が急降下爆撃で落とした爆弾じゃないのかな、と思いました。
ただし、99艦爆の機影は見ていません。とんでもねえ役立たずの見張り員だ(-_-;)
残る手段はDVD買ってスロー再生で探すか。。。。




で、映画の最中にふと気づいたのです。

「わたし、映画見てないし!(・∀・)」

ふと気づくと、ある映像をきっかけに、自分勝手な妄想に入り込んでしまっているのです。

それは宮部さんの袖の階級章や善行章だったり、ライフジャケットの背中の文字だったり、ラバウル飛行場に帰ってきた際の操縦席からの風景(CG)だったり。

わたしは”映画”を見に行っているんじゃなくて、何かに浸りに行っているんじゃないかと気づきました。




といっても、まったく映画を見ていないわけじゃなくて。
”映画”本筋でハラハラと涙するところもあるのです。
何度見ても”くる”のは、景浦が主人公の青年を抱きしめるシーンと、大石が幼い清子ちゃんになつかれているシーン。あれがたまらんのです。

たぶん、これも意識は半分どっか飛んで行っちゃっているんですけどね(-_-;)




「同じ映画でそんなに何回も感想書かんでいい!!」

ですよね~?(;^ω^)


はい、もうこれぐらいでやめておきます。

乙9期 野田実さん2014年01月16日 10時09分38秒

愛知県出身。偵察専修。
艦攻の電信員です。


野田さんは、雄翔館に氏名入りの遺影があったので、それをもとに探しました。

東京行軍
横須賀海軍航空隊



香取神宮
霞ヶ浦海軍航空隊



鈴鹿(飛練・偵察)卒業アルバムから






17年2月の航空母艦・祥鳳の飛行機隊戦闘行動調書には、97艦攻の電信員としてお名前があります。
戦闘機18機、97艦攻9機と、大所帯ではありませんが、そこに9期の偵察員が4人もいました。
野田実3飛曹、大塚孝平3飛曹、益田増雄3飛曹、繁富悦行3飛曹。
さそ心強かったことでしょう。

野田さんが指揮官機の電信員で、残る3人は偵察員の配置。



17年5月8日   祥鳳  ニューギニア方面

ブログの9期生戦没者名簿にこう書いていました。
9期生生存者が昭和40年に編集した『九期生名簿』、雄飛会が出している9期戦没者名簿にもそう書かれてあったからです。

でも、珊瑚海で祥鳳が沈んだのは5月7日。

当日の飛行機隊の行動調書が見つけられず、野田さんの戦死状況がわからずにいたのですが、先日借りて読んでいた『予科練外史』に、珊瑚海のときも同じ艦に乗っていた大塚孝平3飛曹が、後日、倉町先生に宛てた手紙の文面が掲載されていました。その一部です。

『ハワイの時には勝って勝って面白い戦争でしたが、今度は、この戦いの第一の犠牲となって自分の母艦「祥鳳」は敵の猛烈な集中砲火を受けました』

※この手紙の注に、「(ハワイ・真珠湾攻撃に)大塚は「翔鶴」の搭乗員として参加」とありますが、行動調書にお名前はありません。翔鶴の搭乗員ではあったけれど、攻撃には参加しなかったということでしょうか。

『自分の艦も、攻撃準備成って、さあ!という時に一歩早く敵が来たのです』

『艦首は砕かれ、艦が傾斜して来た時でも、いや、自分の艦は絶対に沈むようなことはない、と最後まで思って居りました。勿論そのころは、火煙に包まれ、戦友の屍で大変でした。益田増雄、野田実、繁富悦行も一緒にいたのですが、いつの間にか見えなくなってしまった。どうしただろうと気になるのですが、どうすることもできません』


その後、第二段の爆撃が大塚さんの近くで炸裂。大塚さんは海中に吹き飛ばされてしまいました。
結局重油の海を9時間半漂流して救助されたそうです。

『益田も繁富も、傷一つなく助かりましたが、野田は運悪く爆弾の直撃でやられてしまったのです』



ということであれば戦死日は確実に5月7日。
搭乗員の経歴に精通している知人からもらった資料には野田さんの戦死日は「5月7日」と書いてありました。

17年5月7日   祥鳳  珊瑚海海戦

に訂正します。






おもいで
『女学生の様な柔和な顔、それでいて大男。君の手は俺の二倍位あった。大仏のような手をしてモールスがうまかった。羨ましいよりにくらしい手だと思った』

『円満篤実。悠然たる君。大人であった。あの若さであれだけの人格は生まれつきなのか。俺は心の中で君の人格を範としていた。生きていてほしかったが、永遠に俺の心の中に生きる清純な君の方が幸せなのかもしれない。君の俤を追うとどうしても涙がにじみ出てならない。永遠に若い君よ、安らかに眠れ』

『鈴空卒業前に撮った写真を貰ったが、今も手元にある。それを見ても確かに君の皮膚は男性にはもったいないきれいなものだ』




※画像は雄翔館、羽藤さん、松本さんご提供

ハセガワ F4EJ改 スーパーファントム 301SQ 40周年記念塗装2014年01月16日 17時38分43秒

ついにこの日が来ました!

これが! プラモデルになりました!!(*´▽`*)




自分で塗るとなったら、あの微妙な機体の色はどーすんだろうなーと思っていたけど・・・・。

やっぱ機体色は自分で作らないといけないみたい(^^;)
ブルーとクリアーレッドを混ぜろって。

見る角度とか、日差しの具合で色の印象が変わるんですよネ、このファントム。
紫に見えたり、濃い青に見えたり。
わたしはちょっと紫がかって見えるのが好きだな~♪