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251空の・・・・2013年11月04日 23時07分01秒

昨日は、山崎さんのご遺族の方々と一緒に、元251空の搭乗員さんのところに行ってきました。

最初から書くと長くなるので書きませんが、とにかく行ってきました。

全部山崎さんちの方がセッティングしてくださって、わたしはそれに乗っかっただけです。
指定された場所に行って、そこで山崎さんちの方に車で拾ってもらってーーーーのはずだったのですが、いきなり待ち合わせ場所を間違えてしまいました!!( ゚Д゚)

お宅訪問時間を幅を持たせてくださっていたおかげでたぶん”遅刻”という事態は免れたのではないかと思いますが、ホント、間抜けだー"(-""-)"


お宅に無事到着。

お話、とても興味深かったです。
飛行中の話や生活の話もたくさんしていただきました。
脳内でいろいろとイメージしていたラバウルと違うところも・・・・(^^;)

搭乗員個々の思い出話はほとんどなかったです。※ただし2、3を除く(;^ω^)


251空といえば元台南空。

17年11月に台南空から251空に改称して、内地に戻り豊橋で再編。
そのとき、残ったのが、大野竹好中尉(兵68)、大木芳男飛曹長(操37)、田中三一郎上飛曹(操43)、西澤廣義上飛曹(乙7)、山崎市郎平1飛曹(操54期)、遠藤桝秋1飛曹(乙9)、米田忠飛長(操56)、山本末廣飛長(操57)。

豊橋で練成中に鴛渕孝中尉(兵68)や林喜重中尉(兵69)も加わり、わたしとしては以前から思い入れのある航空隊の一つでした。


「再編後の251空の集合写真ないのかなーーーー」
と、ずっと前から思っていました。

もちろん「あったら見たい」と。

ないはずはないんですよね。隊の集合写真は絶対に撮っています。
ただ、わたしの目に触れなかっただけ。


今回、感激の対面を果たしてきました、251空集合写真。


ちょっと取り組んでみます。

251空の先任搭乗員2013年11月04日 23時40分29秒

今回写真を見せていただいて、わたしの中でひとつの謎が解けました。

「田中三一郎さんと西澤さんの先任順はどうなっているのだ?」
ということです。



田中さんと西澤さんが一緒に写っている写真。

トリミングしています。なんかもててるっぽくていいかな~(*´▽`*)と思って。
スイマセン、思わせぶりで。周辺にはほかの搭乗員たちもいます




田中さんは9年の志願兵。操練43期。
西澤さんは11年に乙7期に入隊。

どこかで251空の先任搭乗員は西澤さんだと読んだような気がして、そう思い込んでいたんですよね(;^ω^)

「田中さんの方が2年も早いのに。西澤さんが予科練の出だからか」
と自分を納得させていました。


どこかで読んだような気がする、というだけではなく、大野竹好中尉が手記に「西澤班長」と書いていたので、「班長=先任搭乗員」と思い込んでいたわたしは、ここでもやはり、
「251空の先任搭乗員は西澤さん」
という思い込みを強めました。

でも、同じ手記に「先任下士官の田中上飛曹」という記述もあり「?」になっていました。
搭乗員さんに、
「一つの戦闘機隊(飛行隊)に先任搭乗員が二人いることもあるのですか?」
と聞いたこともあります。もちろん答えは「NO」で。


今回、写真を見てなんとなくわかった気がします。


「251空の先任搭乗員は田中さん」です。


大野さんが書いている「班長」というのは別物です。
どうも戦闘機隊がいくつかの班に分かれていて、班の下士官最先任者が「班長」のようです。

ですから、西澤さんはある班の「班長」ではあっても、先任搭乗員ではありません。

田中さんもある班の班長ですが、同時に戦闘機隊の先任搭乗員でもあったようです。
田中班長の班集合写真がありました。写っている人も半分以上氏名がわかりました。
いろいろ検討した結果、撮影場所は豊橋っぽいので、訓練も班単位でやっていたのだろうな、と。



行動調書を見る限り、戦地での出撃も、戦闘機隊の搭乗員がアトランダムに小隊を組んでいるのではなく、班を基本にしているようです。

もちろん、日が経つにつれて戦死者が増え、「班」基準では小隊を編制できなくなってきた様子はあります。


251空がラバウルに進出した当初は班を基本にして出撃していたんだなーというのが写真を見た感想です。



田中さんは251空戦闘機隊がなくなる8月末までずっと隊にいるので、西澤さんが251空で「先任」と呼ばれることはなかったんじゃないかな。



※画像は武田信行氏ご提供