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乙9期 井原大三さん2013年09月21日 13時38分36秒

井原大三さんは、ずいぶん前に角田和男さんの『修羅の翼』でお顔を見ていました。
2空時代の角田さんの列機で、17年8月26日、ブナへの敵機来襲の際の邀撃戦で戦死されています。

でも、自分の9期生ファイル(操縦)の中に同じ顔の人がいないと思い、申し訳ないですが、
「わからない」
と匙を投げているような状態になっていました。

自分なりに、班写真やラグビー部写真を検討して、
「この人が井原さんじゃないのか」
と思っている人がいたのですが、『修羅の翼』の井原さんと同じ人に思えなくてここに出していませんでした。


先日、この件が一気に解決しました。
インド料理店でメール&電話が入ってきた話はしたと思いますが。
知人から、
「いま靖国神社での慰霊祭に参加していますが、井原大三さんのご遺族の方が来られています」
という連絡だったのです。

本当にビックリしました。
ちょっと前に―正確には8月27日なのですが―台南空の山﨑市郎平さんが17年8月26日のブナの邀撃戦で怪我をしてその後マラリア・デング熱併発で内地に送還されたことをブログに書きかけていたのです。
そのときに一緒に上がった2空の角田飛曹長、岩瀬毅一1飛曹、井原3飛曹のことも書いた方がいいなと思い、結局そのまま管理画面で保管状態・・・・。

今回知人からもらった連絡がきっかけで、井原さんのお顔がハッキリわかりました。
3枚、遺影を見せてもらいました。
1枚は角田さんの手記にあった写真(下士官2種)。
あと2枚は下士官1種と飛練・筑波時代の飛行服姿です。
この2枚を見て、わたしが9期生のアルバムから集めた”井原さんだと思っていた人”と、角田さん手記の”井原さん”がやっとつながりました。同じ人でした。




神奈川県出身。大正12年生まれ。
艦爆操縦→戦闘機。
千歳空、(台南空)、2空。

【東京行軍】


【鎌倉行軍】

【大楠山慰安行軍】

【操偵適性検査】

【操縦専修生集合写真】


【整備実習】

【ラグビー部】


【クラブにて】

【飛練・筑波】



予科練卒業時の寄書き


おもいで
「入隊時同班だった。誠心誠意やるところから入隊早々教員係をやらされ、自分の身の始末に汲々たる入隊時、教員のために汗を流していたネ。君の戦死を知ったのはラバウルで、上原に聞いた」
「ラグビー部のレギュラー。君のファイトは我等九期の代表」
「戦後横浜に居を構えたわたしは偶々君の小学校同級生から話を聞かされたがそれによると栴檀は双葉より芳しとやら小学校時代既に「根岸に井原大三あり」だったという」




17年8月26日  2空   ブナ


井原さんの戦死時の状況は角田さんが手記に書かれています。
この日はブナからラビ空襲の予定。
台南空の山下丈二大尉が離陸線に着いたときに敵機が見えたようです。
山下大尉だけは何とか無事離陸、列機の3機は3機とも撃たれて爆発・火だるまになったように書かれています。
(行動調書では列機は2機。自爆したのは3番機の中野鈔3飛曹(乙9期)だけで、2番機の山﨑さんは被弾不時着軽傷)

2空側。
角田さんは離陸しながら、敵機と撃ち合いながら、振り返って見られていたようです、2番機の岩瀬さんと3番機の井原さんの最期を。

『井原兵曹は横浜の産、後輩九期生で、やはり一機撃墜の功があり、共に前途を嘱望された明朗な搭乗員であった。しかし、頭上に優勢な敵を控えての離陸では如何ともし難かった』(角田和男『修羅の翼』光人社)



乙9期戦没者はこちら


※画像は松本さん、石川さん、羽藤さんご遺族提供。

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