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乙9期 島子栄二さん2013年09月11日 18時09分00秒

すいぶん前からお顔がわかっていたのにここに書いていなかった島子栄二さん。

鹿児島県出身、中攻操縦。
高雄空、753空、705空。

なぜ書かなかったのかというとですね・・・・。
『九期生名簿』や『雄飛九期生戦没者名簿』に書かれている「18年2月24日」という戦死日が、たぶん間違っているのだろう、と思っていたからです。

戦死時の航空隊は705空。
705空はきっちり戦闘行動調書が残っています。
にもかかわらず、島子さん戦死時の「18年2月24日」の当該行動調書がない。

誤記のパターンとしては、「11」を「2」に、「2」を「11」に間違えていることが多いので、18年11月24日も探してみました。でも、ない。


で、結局、どうなったかというと。
たまたま見つけました。
谷村博明さんの戦死時の搭乗割が山﨑さんところから借りている『第705海軍航空隊史』に載っていたな、と思ってパラパラ探していたら、すぐ近くのページに「18年2月2日 敵空母薄暮雷撃」の搭乗割が載っていて、そこに島子さんのお名前がありました。「行方不明」。

これを見つけたので同日の行動調書も確認したところ、ちゃんと出ていました。
ここは見ているはずなので(同じ攻撃で偵察の新井誠二さんも戦死)、わたしが単に見落としていたようです。



【東京行軍】

【雄飛の松】
佐世保海兵団ペンネント。

【飛練・筑波】

【中攻操縦専修】

【雄翔館遺影】




予科練卒業時の寄書き。
正直言って、どちらかわかりません(^_^;)

「志まこ」と署名してあるのかと思っていたら・・・・

「大隅根占」も島子さんだけです(^_^;)

どちらかが島子さんだと思うのですが・・・・。



「おもいで」
「入隊当時普通語(日本語)がしゃべれなくてこまると言ってこぼしていたっけ。大きいお尻をエビカニのようにくねらせてはしっていたっけ」
「操縦専修になってからの同班で、ボクトツな誠心誠意やる君にはお世話になりっぱなしだった」


島子栄二  18年2月2日   705空 西太平洋海域


名簿では戦死場所が「西太平洋海域」になっていますが(同じ攻撃で戦死した新井誠二さんは「ニューギニア」)、『第705海軍航空隊史』の18年2月2日の記述は以下の通りです。
『攻撃待機、1400、雷装14機ブナカナウ発進、サンクリストバル島付近出現の敵機動部隊反転のため引き返し、セントジョージ岬付近天候不良のため編隊分離指揮官三原少佐機は2番機と接触して墜落、高村中尉、永野大尉機ら5機33名戦死』

このとき指揮官搭乗機と接触した2番機の主偵察員は谷村博明さんです(2番機無事)。

行方不明になった5機のうち、篠崎中尉機は海上に不時着、十日あまり漂流のち4名生還(行動調書では5名生還)。

永野大尉機にも生還者がいて(5名)、そのうちの一人は9期の牛澤四郎1飛曹です。


行動調書には上のことは書かれておらず「敵を見ず引返す」だけ。
「敵を見ず引返す」で、どうしてこんな悲惨なことになったのか――。
悪天候ゆえの惨事なのでしょうか。


乙9期戦没者はこちら


※写真提供、松本さん、羽藤さん、石川さんご遺族、雄翔館、Pさん。