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石川茂さんと羽藤一志さん2013年08月26日 13時17分09秒

ひと月ぐらい前のある日、石川茂さん(乙9期、愛媛県出身、中攻操)のことを調べている人がいることに気づきました。
”ある日”というのは、9期の偵察専修生たちが記念写真を撮った場所を確認するため橿原神宮に行った日。現地に向かう電車の中でスマホを見ていて気づきました。

9期生のことを調べている人がいるのであれば是非とも連絡をとりたいと思い、石川さんのことを書いたページに伝言を書き込んでおきました。

数日後、気づいてくださって、メールが来ました。


石川さんのご遺族の方でした。


そのときメールに、
「こんな資料がうちに残っています」
と、アルバムの数ページ、新聞の切り抜きなどの写真が添付されていました。

そこにあったある1枚の写真に目が釘付けに。

↓これなんですけどね。 
「日曜 葉山逗子自転車行軍 逗子の磯」
と、石川さんの直筆ではないかと思われるキャプションもついていました。

送っていただいた写真では、お顔まではわかりませんでした。
でも、人数を数えたら下士官一人(真ん中)にジョンベラ12名。
すぐに、
「1学年時の15班教班長と班員だな!」
と思いました。

土浦から自転車で逗子に行くとは考えにくいですしね(^_^;)
横須賀時代(1学年時)の写真だろう、と。

石川茂さんの1学年時の班は15班。
石川茂さん(操)、河合敏さん(操)、都地肇さん(操)、松村政人さん(操)、清水巧さん(偵)、藤代護さん(偵)、佐々木隆寿さん(偵)、本間秀人さん(偵)、牛王正明さん(偵)、加藤勝正さん(偵)、藤井国男さん(偵)、宮澤政雄さん(偵)の12名。

ほとんどの方のお顔はきちんと把握できているつもりなのですが、藤代さんと加藤さんがいまひとつつかみきれていない・・・・。

15班の人たちのお顔がちゃんと写っていそうだ、ということと同時に惹かれたのは、やっぱ「自転車に乗っている」ってことでしょうかね(^_^;)
松本さんのアルバムにも羽藤さんのアルバムにも「自転車」は出てきませんでした。

添付のアルバム画像には、自転車行軍の写真以外にも、見たことのない集合写真の端っこが見えていたり。

「これはどうしても見たいーーーー!!!!(>_<)」


で、ご遺族の方にその件を申し出てみたところ、
「どーぞ、どーぞ(^o^)」     ←顔文字はあくまでわたしの想像です
とおっしゃってくださったので、昨日、見に行ってきたというわけです。


ひとりで見せてもらうのはもったいないので、愛媛の零戦会の方々や羽藤一志さんの甥御さんも誘って一緒に見に行ってきました。




そもそも、どうして石川さんのご遺族の方がこのブログを見つけたのか、ということですが。
石川茂さんのことを調べていたわけではなく、どうも「羽藤」で検索していてここを見つけられたらしいんですよね、それも奥さんが(^◇^;)

わたしにメールくださった方の奥さん――旧姓が羽藤らしくて、読んでいた戦艦大和マンガに羽藤という搭乗員が出てきたので、ネットで調べていたらこのブログを見つけ、さらに茂さんのことまで書いてあった――らしいです。


なので、訪問してすぐの話題はもっぱら「羽藤」で(^_^;)

奥さんも羽藤時代は「ポッポ」と呼ばれたそうです(笑)
甥御さんにそのことを振ったら、すごく言いにくそうにされていましたが、どうもご自身も「ポッポ」と呼ばれた経験がおありのような?(^_^;)

すぐに「親戚だ!!」って話にはならなかったのですが、いろんなこと(出身地や外見)を総合すると、家系図をたどるときっとどこかでつながっているのではないか、ということに(笑)

ちなみに奥さんは、集合写真からも羽藤さんを探し出せるほど羽藤さんに精通(?)されております。
そろそろ「海軍航空隊ポッポ研究家」を自称しようかと思っていたママですが、「親戚かもーー??」しかも「自分もポッポだったよ( ^o^)ノ」って方にはとてもかなわないので、奥さんにお譲りします。





予科練の生活の単位は班です。家族と離れて生活する予科練生にとっては第二の家族みたいなもんですね。
乙9期は12~3名が1つの班で、1班~16班までありました。
行事に出かけて集合写真を撮るときは半分ずつ撮ることが多く、1~8班、9~16班という組で別れます。
羽藤さんは12班、石川さんは15班なので、羽藤さんのアルバムに貼ってあった行事集合写真のほとんどに石川さんが写っていました。

おまけに今治出身の同郷人。

それなりの交流はあったんだろうな、と想像はしていました。


今回行って新たに発見したのは・・・・。

・2学年時(操偵別れてから)の班替えで、羽藤さんと石川さんが同班になっていた!!

・石川さんが台湾高雄から家族に宛てて出した手紙(おそらく16年11月・12月~17年初め頃)に、
「羽藤も今台南に居ます」
という記述が!!




お二人が亡くなってかれこれ71年経つわけですが・・・・。
※石川茂さん・17年2月20日、羽藤一志さん・17年9月13日


ある夏の一日に、それぞれのご遺族が二人のことを偲んでいろいろ話をされる席に同席できて、とても感慨深いものがありました。

きっと石川さんも羽藤さんも上から、
「やっと対面しおったぞ(^。^)」
と覗かれていたのではないかな。


見せていただいた資料に関しては検討してから紹介させていただきます。
石川さんのご遺族の方々、羽藤さん、愛媛でお世話してくださった方々、本当にありがとうございました。

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