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一木利之飛曹長2013年04月08日 20時37分27秒

台南空、ラエ指揮所前(6月20日)やラバウル指揮所前(11月?)集合写真に写っている一木利之2飛曹(終戦時・飛曹長)。

この方ですけどね。
11月ラバウル


なななーーーーんと!      会いに行ってきました!

わたしの場合、研究者でもジャーナリストでもないので、調査でも取材でもなく、ただ「会いに行った」が相応しいかと(笑)

ここに書いていることも、「会いに行って来ましたーーーー!」という日記みたいなものです。
「せっかく会っておいて、肝心なこと聞いてねーじゃねーかよー!(怒)」
というクレームは受け付けません(・ω・)

本当に、一目お目にかかれるだけでよかったんです。

もちろん、お聞きしたいことは山のようにありますよ。
でも、お目にかかれただけで感激でした!
泣いたらどうしようかと思っていたのですが、何とか泣かずに済みました。




12年志願兵。
駆逐艦。
丙2期。
台南空、横須賀空、263空、352空、岩国空。

一木さん、もともと物静かな方らしいですが、われわれの質問にも、ぽつりぽつりという感じで(^_^;)
経歴は、ご家族のお話や、見せて下さった名簿類からわたしが推測してみたものです。
もしかしたら間違っているところがあるかも知れません。
飛龍乗組のご経験がおありだそうで。
丙飛の前だと思うのですが・・・・。


台南空の集合写真を拡大したものを見ていただいたのですが、
「みんな死んでしまったねえ・・・・」
ということと、
「海軍は転勤が多いから(あまりひとりひとりの名前を覚えていない)」
という意味のことを何度も言われていました。

そんな中で、数人、はっきりと「覚えている」と言われた方がいらっしゃいました。
笹井中尉、高塚さん、坂井さん、西澤さん、大木さんなど。
「どんな方だったのですか?」
という質問には、明確に、「こんな人」というお答えはなく、にこっとされたり・・・・「大先輩」と言われたり、まあ、そんな感じでした。

あ、台南空ではないですが、ご家族の方に、
「羽切さんがとてもいい人だった」
というようなことを言われていたみたいです。

乙9期生のことも聞いてみたのですが、あまりご記憶になさそうな・・・・。
予科練生とはふだんあまりつるむこともなかったのでしょうか。
9期生は当時3飛曹で階級も違うしなあ・・・・。


なら、同年兵はどうだ!!

「山崎市郎平さんは覚えておられますか?」
写真を見せて尋ねてみました。

一木さん、写真を見つめながらニコニコ肯かれ、
「覚えている」
と。

「どんな方だったんですか?」
「おもしろい男。みんな”イチロベー、イチロベー”言うてねえ」
なつかしそーに言われました。

そのあとでもう一度山崎さんの話になったときに、
「一緒に遊んだりしたのですか?」
と聞いたら、ニコニコ肯かれていました。
ちなみに一木さんは酒はまったくダメ、甘いものオンリーだそうで。


山崎さんはこんな人
「少々早とちりでそそっかしい」「温厚でやさしい」(by操練同期生)
「おとなしい人」(by同じ航空隊だった人)
「おもしろい男」(by同年兵)                 ←new!



あと、戦史にとってはどーでもよいことですが、わたしにとっては大事なこと・マフラーのことも聞いてきました。
台南空(251空)11月と言われている集合写真。
一木さんと、右隣の遠藤さんだけが濃い色つきのマフラーをしています。

遠藤さんのことは印象に残っておられないようだったので、あえて「遠藤さんのマフラーの色」は尋ねませんでした。
一木さんご自身は、
「マフラーは白か青」
と言われました。

6月に白かったマフラーがどうして11月に青になっていたのか、そこらへんは聞きそびれました。
元から2枚持っていたのかな?


長くなりそうなので、何回かにわけますね。
※画像は武田信行氏ご提供

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